http://www12.ocn.ne.jp/~kiddy/rokusikai2012.JPG
6月10日(日) 天候に恵まれた六稜会館で六稜六四会の卒業60周年記念総会が開かれた。
当日集まり始めた諸君は関西の他、東京岡山九州からの計112人、まず地下展示室を見学後、
13時半から3階ホールに集まり、川島弘君(今も現役シャンソン歌手)の司会で総会が始まった。
はじめに物故者122名への黙祷。
長年、会長を務めて2年前に逝去した川本晴男君の後を継いだ足立一郎会長の総会挨拶に続き、楠野校長から母校の現況報告をいただいた。校長先生の生誕年1952年春に私たちは母校を巣立っている。
正面スクリーンに投影される津田信昭君制作のビデオのプログラムに沿って会が進められ、記念撮影のあと懇親の部に入る。懇親会の間も写る思い出写真やビデオをチラチラ横目にグラスと食事とお喋りが続く。卒業10周年(第一生命ビル)、20周年(北野高校)、その後3、5年間隔、50周年記念総会から3回を経た今年の卒業60周年記念総会をもって六四会総会は最終となった。昔の暦で云えばみんな傘寿だ。この60年はみんなそれぞれ別々の人生を歩んできたが、振り返るとすればそれに先立つ入学からの6年間であろう。
北中入試の面接で印象に残るのは、一人ずつ待機したあの長い廊下で、そのコンセプトは新校舎にも引き継がれている。
終戦翌年春、北中(北野中学)入学。50人6組で3百人。制帽の白線に六稜の徽章。電車に乗っても北中生は凛々しくキリッとしていると親戚から云われた。
校歌に「…星のしるしを、青春の額にかざし…」とあるが、今どこにその姿が見られるのか。入学して上級生から受けた校歌指導では「紅顔の子弟いく百、日に通う北野ちゅうが」と中学を詰めて歌うように教わった。
十三駅からは瓦礫の合間を縫いながら通学し、数学の教科書はA5サイズに折りたたまれた全紙判を自分で裁断して糸で縫いつけた。ホチキスはまだない。
翌年学制改革で新制中学が出来、私たちは旧制最後の中学生となった。
1年の担任は数学の江副先生で2年生でも担任だったが、夏休みが終わって登校したら先生の姿はなく、後任は新米の石田千代之輔先生だった。なぜか白衣を着て授業に臨み、一言話す毎に上を向いて「あ~」と云うので「アーコ」とあだ名が付いた。因みに江副先生は、かつて政界を揺るがしたリクルート社創立者のご尊父だった。
1948年男女共学となり、淀川以南の友は大手前へ。代わって大手前高女からは才媛がどっとやってきてトイレはドット混む。野球で北野を優勝に導いた多胡投手は淀川以南だったが北野に残された。大手前には野球部がなかった。
大手前に移籍した男子生徒達は集まるといつも北野の話をしていたと聞いたが、北野に来た才媛達には大手前を懐かしむそぶりは全く見られなかった。
1949年北野高校併設中学を卒業してそのまま新制高校にスライド。生徒数は8組で4百人余になった。翌春、新制中学卒を迎えてやっと上級生になったが、それまでの4年間は最下級生。
美術部員の写生モチーフは十三公園と手前の焼け跡で、6年目の秋になっても残る瓦礫の間に三脚を立てて描いていた。
教師陣はバライティーに富んでいた。
生物を教わった岩田久二雄先生は、昆虫学の泰斗で兵庫農大(現神戸大)教授に。「福島の定理」もある数学の福島豊先生は、新設の福井大学数学教授に。
昭和27年に阪大に入ったら、北野で習った先生が4人もおられ、その講義も受けた。
高校の地学授業で岩石採集に甲山へ連れて行ってもらった小泉光恵先生(旧姓失念)、英語の小松昌先生、統計の大澤先生、社会の増田毅先生からは政治学。
今で云う中高一貫校の6年間に大学教授レベルの先生方の授業を受けていたことになる。
北野中学校長から大阪府初代教育長に転出された浜田成政先生の口癖は「反省無くして進歩なし」だった。復員し「スマトラ帰りの名馬」と渾名された生物の佐賀真一先生は30年間おられ、私達が生まれた年に北中に赴任し33年間を北野で過ごされた美術の岡島吉郎先生など、今では考えられない主のような名物先生が沢山おられた。
さて、懇親会も佳境に入り、中国に帰った段元培君からのメッセージと添付の漢詩、それを訓読し解説してくれた小松美博君の返礼の自作詩の披露。ショートスピーチでは槌田敦君の北野放校となった経緯と原発の問題点指摘があり、大谷遷君指揮の校歌斉唱をもって閉会となった。
総会は終了したが、六四会そのものは存続し幹事会も休眠しながらも残留。他学年のようにクラス持ち回りではなく、交代しながらも14人の固定幹事会として運営してきたが、初期から一貫して黒子として事務局役を引き受けてくれた岩田江一君の陰のはたらきは感謝にたえない。
楠野校長のお話にもあったように進学指導特色校制、段階的学区撤廃など府立高校の活性化策によって、北野高校への志願者数が増えつづけ、上で振り返った終戦直後の北中のように北野高校は受験生たちの憧れの的になってきたようだ。いろいろの歴史と精神を背に、わが北野高校は来年創立140周年に向けて歩を進めている。
今 井 滋 郎(64期)