ボンフォル村では聖フロモンという聖人の伝承が今も尚、人々の生活に息づいている。国境近くにあるがためにしばしば他国の蹂躙に怯えた挙句、経済危機の影響をモロに食らった小村の民は、知らず知らずのうちに、霊験に縋らずにはいられなかったのかも知れない。 聖フロモン(Saint Fromond)は、バチカンによって列聖はされておらず、文献も残っていないが、数々の伝説や奇跡が言い伝えられている。 別名「放浪の聖人」とも呼ばれている、アイルランド出身のフロモンは、仲間二人と旅をしていた。ドレモンとポラントリュイの間にあるLes Rangiers峠近くでそれぞれが杖を投げ、落ちて指した方角に向かった。そして行き着いた先を終の棲家と決め、放浪から定住の生活を選んだ。ちなみに、他の二人こそ、その名を地名に残す聖ウルザンヌ(St-Ursanne、アイルランド人)と聖イミエ(St-Imier、現在のジュラ州Lugnez村出身、二人の案内役だったのか?)である。
伝説によるとフロモンは105歳まで生き、人々の信頼と崇拝を集めていたが、ある日泊めた二人の放浪者に殺されてしまった。(恩を仇で返すとはこのことか)しかし、聖フロモンへの信仰は千数百年を経ても途絶えることはない。人々は動物の守護聖人と崇め、家畜が病気になると聖フロモンの泉の水を飲ませたり、その辺りの草を与え、治癒に漕ぎつけたと言われている。1793年には悪魔に取りつかれた女性の前に現れ、お払いをしてくれたという伝説がある。 聖フロモンが見守るボンフォル村は、第38話にも書いたように、決して平坦な道程を歩んでいない。しかし、この村にも繁栄を極めた時期はあった。20世紀初頭(ポラントリュイを含むジュラの産業が栄えた期間、いわゆるベル・エポックとも一致する。第15、16話駅物語をご参照下さい)には人口は現在の約2倍もいた。大きな理由の一つに、鉄道の発達が挙げられる。1901年、ボンフォルはポラントリュイと鉄道で繋がった。1910年までにはドイツ帝国支配下のアルザスの村、Pfetterhouseまで線が延びた。(1970年に国境を越える部分は廃線)
粘土を使った瓦は非常に重宝されたが、1919年に工場が焼失したことにより、途絶えた。現在でもボンフォル村や周辺の市町村の古い家屋のほとんどにこの瓦が使用されている。 CISAという会社は、粘土を使用した装飾用タイルを全世界に輸出していた。東京の地下鉄通路には一部、この会社のタイルが使用されている。しかし、古来より採掘し続けられてきたため量が激減した粘土採掘にはコストがかかるようになり、外来の粘土が使われるようになった。会社自体は残念ながら1999年に倒産した。 粘土減少により、陶器製造工場は次々と閉鎖され、現在では第37話にも登場したフェリシタス・ホルツガングさんお一人が村の陶芸職人として活躍中である。 何もかも下火になってしまったようであるが、村は試行錯誤しながらしぶとく生きている。R.M.B.というボールベアリング製造の会社は買収されてMPS A.G.と変名したが、その後も高技術を誇る会社として存続している。ここの製品は、月に着陸した、あの宇宙船アポロ号に搭載されていた。その他にも、時計ケース製造工場や漂白工場、製材所などの産業がある。第38話に述べた池は、四季を問わず、観光客の憩いの場である。
ジュラ在住15年という歳月は、私を完全なジュラびいき、いや、筋金入りのジュラ女性=ジュラシエンヌに変えてしまったようだ。ボンフォル村に親しみが湧くに連れ、私なりのやり方(陶器の紹介、観光客誘致など)で応援したい気持ちが高まりつつある。 〈参考資料〉 Bonfol村公式サイト : http://www.bonfol.ch/ MPS A.G.公式サイト : http://www.faulhaber-group.com/ |