「人に歴史あり」と言うが、人口数百人の小さな村にも大いなる歴史が存在する。ワールドアイで歴史エッセイ執筆のお仕事をさせていただくことになって以来、スイスのどこにでもある小さな村の資料を紐解くことが多くなったが、悲喜入り乱れた豊かな深層に、驚嘆することしばしば、ボンフォル村もその一つである。
歴代バーゼル大公司教はこの村の池をこよなく愛した。自然の中で散策を楽しみ、狩猟という娯楽に浸った。この池に集まる様々な魚や鳥は、宮廷の食糧ともなった。この池は1961年、自然保護地域に指定されたため、現在では植物を採取したり動物を捕獲することは許されない。キャンプや焚き火も禁止。犬を放し飼いにすることはできないので愛犬を連れて散歩の際はご注意を!
1474年、ブルゴーニュ戦争のきっかけは、この村も含めた、オー・ラン地方(Haut-Rhin)の悲劇が発端である。ブルゴーニュ王、シャルル突進公の補佐官でオー・ランの代官であったピエール・ド・ハーゲンバッハは、Breisach市民の蜂起により、捕らえられ、正当な裁判もないまま処刑された。彼の弟であるエティエンヌ・ド・ハーゲンバッハは、兄の仇とばかり、蜂起に加担した市町村を急襲。ボンフォル村もその犠牲となった。生き残った民は村はずれに集まり、他村の協力も得ながら、新しい村作りに取り掛からなければならなかった。スイス連邦と同盟軍はフランス王ルイ11世と協定を結び、戦争に突入。ブルゴーニュ王シャルルを倒すために3年を費やした。ブルゴーニュ公国南半分はフランスに併合され、北半分フランドルはシャルルの遺児マリーが神聖ローマ皇帝の後継者に嫁いだため、ハプスブルグ領となった。 中世ヨーロッパを吹き荒れた魔女狩りの嵐は、小さな村をも見逃しはしなかった。1609年、魔女の疑いをかけられたある寡婦が首をはねられ、火刑に処せられた。 1618‐1648年の三十年戦争では各国軍傭兵の現地調達・・・つまり略奪に苦しみ、他の市町村同様、大きな被害を蒙った。とりわけ酷かった1634年、スウェーデン軍はボンフォル村を占領した挙句に焼き討ちし、数多くの住民を虐殺した。この時、12km離れたポラントリュイは「奇跡的に」暴虐を免れている。第18話「奇跡の聖母伝説」をご参照に。 1768年、水が抜かれていた大池からガスが発生、悪性の熱病を流行らせた。僅か数日間で宗教関係者を初め、60人が死亡した。多くの家々は腐り、閉鎖された。 第一次世界大戦中、フランス・ドイツ戦線に近かったため、誤爆を受けた。しかし、ある仏・独バイリンガルのスイス兵の提案で、クリスマスの夜、フランス兵とドイツ兵が村で一緒に夕食を取ったというような美談も存在する。
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