ゴシックと呼ばれる様式は、何も教会や宗教的施設に限って当てはめられるものではない。中世、豊かな市民階級=有産階級(ブルジョワ)と呼ばれる人々は、当時の「流行」を自分達の所有物(家屋や調度品)に取り入れた。
ポラントリュイ市旧市街を例に取ってみる。建物の間口が狭いのが特徴である。都市が建設され始めた頃(13世紀以前)、建物の幅で税金がかけられていたためである。道の上に現れる部分1トワズ(フランスの古い単位)=約1,95mが最小単位である。(1289年には約2,5mに引き上げられた)幅は狭く、奥行き深い建物が連なっている。数軒毎に小路があり、建物の裏側や向こう側の通りと繋がっている。ここはかつて生活廃水を垂れ流しする場所であり、共同便所であり、火災の延焼を防ぐ役割も兼ねていた。
そのまま階段を上りきると、屋根裏部屋に続いている。現在観光ガイド付きで一般公開されているRiat(リア)家では、屋上まで出ることができる。ここからは表通りと違って手入れが悪く、かつては不潔さでペストやチフスの発生源ともなった小路が覗ける。家々から突き出た石の排水口が、用済みとなった今でも当時の形のまま残っている。 屋内に話を戻す。有産階級者家屋の典型的な造りに、露天の中庭がある。そしてその裏には家畜小屋。小屋からは例の小路に直接出ることができた。有産階級者のほとんどは農業も営んでいた。彼ら(又は使用人)は朝、馬や牛を連れて城壁外にある畑に出向いた。冬の間は小屋に家畜を繋いでおけた。 小路を挟み、同様の造りの家屋が背中合わせにくっつき、並んでいる。都市の一番外側では、家屋の後ろに城壁があった。窓を大きく開けられるようになったのは1754年の条例以来である。それまではヨーロッパ列強の国々が戦争をする度に軍団の通り道となり、「現地調達」が当たり前であった傭兵達の狼藉や略奪に苦しんでいた。そのため、城壁側の窓はなるべく小さく、そして閉め切られていたのである。
その他の特徴を挙げると、階毎に中庭を向いて付けられている、ギャラリーと呼ばれるバルコニー、そして井戸である。水源豊かなポラントリュイでは旧市街の地下を水が流れており、井戸さえ掘れば一般市民でも自家用の水を汲み上げることができた。ただ、浅い井戸の水の中には雑菌が混じりやすく、ここもペスト・チフス流行の原因の一つとなった。しかし当時の人々は伝染病を「外国兵がもたらしたもの」または「ユダヤ人の企み」と信じ込み、嫌悪と迫害を露にしたのである。ゴシック様式流行の時代は、その意味では暗黒時代そのものと言えるかも知れない。 実は「フェイクな」荘厳さに敢えてため息をつくか、または年月と共に消え、崩れ行く芸術に人の営みの儚さを重ねて無常感に打ちひしがれるか、貴方はどちらに心傾きますか?
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