ロマネスク建築の教会が自然の中でのストイックな祈りの場、巡礼者が行き来する街道沿いの辺鄙な場所に建てられたのに対し、ゴシック建築の教会・大聖堂が都市部に発達した一つの理由は、都市部に人口が集中し始めたことにも起因する。それまでの、身内だけの平穏な暮らしから数多くの他人に混じって暮らすようになったストレス・・・彼らは精神的な救いを祈りに求めた。 もう一つの理由は、発展した都市で台頭してきた市民・有産階級の経済力、そしてそれを利用して国内統一を目指す王・大領主の権力アピールの場としての建築熱である。彼らは競って壮大で華麗な大聖堂を建てた。また教会は、文字が読めずラテン語を理解しない市民に対しても図解的に教義を説くことができる「巨大な聖書」としての役割も果たした。現代においても、像やフレスコ画、壁や柱のレリーフに目を奪われる人間は、何も信者だけではないだろう。 ここまで述べてから、ふと気づいた。人間の本質というものは中世も、科学が発達し物が溢れた現代も、大して変わらないということを・・・
ゴシック建築の特徴を、ロマネスクと比較しながら幾つかあげてみる ロマネスクの半円アーチは、ゴシックにおいて尖頭アーチへと進化した。天により近づくため天井を上へ上へと高くするようになった。壁の外側からつっかい棒のように支える飛梁(フライング・バットレス)の導入で、外に開こうとする力を受け止められるようになったからである。ロマネスクの場合は、壁を厚くし、窓をできるだけ小さくすることで倒壊を防いでいた。飛梁の発明で、壁は薄くて済み、大きなステンドグラスをはめる窓を開くこともできた。(注・飛梁=控壁は既にビザンティン建築で使用されていた) また、ロマネスク建築で度々使用されていた交差ヴォールト(丸天井)にリブと呼ばれるアーチの筋をつけた。(リブ・ヴォールトと呼ばれる)この筋は天井を支えていると長い間信じられてきたが、今日の研究成果ではリブは天井を軽く見せるという意匠的・造形的な意図だったと考えられるようになった。 ポラントリュイの代表的な宗教的ゴシック建築は、1475年にサン・ジェルマンに代わり小教区教会となったサン・ピエールである。1321年から1333年にかけて建築された後、改築を重ね、各時代の様式を取り入れながらも、内部は上記に述べた特色に忠実な、ゴシック色を濃く残している。
教会では1978年から1983年にかけて、大規模な修復・改築工事が行われた。その際、内陣の華美過ぎるバロック調祭壇を取り除き、建設当時のスタイルに忠実な、ゴシック式へと改められた。さすがに傷みが激しいフレスコ画であるが、消えかかっている部分はそのままになっている。これは修復チームが取り決めたことで、 「我々は当時の人間にはなり得ない。つまり、彼らの感性・芸術観にはほど遠い。よって、いくら真似たところで絵は再現できない」 という信念から来るものである。なるほど、と私は感じ入った。有名な観光地の大聖堂は何から何までキンキラキンのピッカピカ、昨日描いたかと思われるような美しいフレスコ画があったりするが、それはあくまでも後世、丹念に手を入れられたゆえんである。 実は「フェイクな」荘厳さに敢えてため息をつくか、または年月と共に消え、崩れ行く芸術に人の営みの儚さを重ねて無常感に打ちひしがれるか、貴方はどちらに心傾きますか? |