Salut! ハイジの国から【第35話】 まえ 初めに戻る つぎ

ポラントリュイだより:
建築様式で追うPorrentruy《その2》

ゴシック様式(宗教建築編)


 
▲サン・ピエール教会内部
開口部のほとんどが尖頭アーチである。
写真右下・柱に描かれている青い服の男性は聖・クリストフ。
「突然死からの守護聖人」である。
朝、彼を見ると、その日は突然死から逃れられると信じられ、
早朝礼拝の折に後方の信者からもよく見られるように
大きく描かれたそうだ。忙しい皆様、どうぞ見て下さい!
 永遠の隣人・フランスにおけるゴシック建築の誕生は、時代の流れと大きく結びついている。異民族の侵入や略奪の脅威がほぼ取り除かれた11世紀から12世紀にかけて、農村部で大開墾運動が起こり、生産性が格段に上がった。食糧事情の好転は人口急増に繋がり、たった200年でフランスの人口は3倍以上、2千万人を超えた。豊かになった農村地帯では労力が余り、都市部への人間の移動も始まった。

 ロマネスク建築の教会が自然の中でのストイックな祈りの場、巡礼者が行き来する街道沿いの辺鄙な場所に建てられたのに対し、ゴシック建築の教会・大聖堂が都市部に発達した一つの理由は、都市部に人口が集中し始めたことにも起因する。それまでの、身内だけの平穏な暮らしから数多くの他人に混じって暮らすようになったストレス・・・彼らは精神的な救いを祈りに求めた。

 もう一つの理由は、発展した都市で台頭してきた市民・有産階級の経済力、そしてそれを利用して国内統一を目指す王・大領主の権力アピールの場としての建築熱である。彼らは競って壮大で華麗な大聖堂を建てた。また教会は、文字が読めずラテン語を理解しない市民に対しても図解的に教義を説くことができる「巨大な聖書」としての役割も果たした。現代においても、像やフレスコ画、壁や柱のレリーフに目を奪われる人間は、何も信者だけではないだろう。

 ここまで述べてから、ふと気づいた。人間の本質というものは中世も、科学が発達し物が溢れた現代も、大して変わらないということを・・・


▲リブ・ヴォールト
ゴシック教会建築の大きな特徴の一つ。筋つきの交差丸天井。

 

▲教会の壁を支える飛梁(フライング・バットレス)
それほど派手ではないが、飾りではなく
薄い壁の建物が崩れないようにする機能的な役割。

 

 ゴシック建築の特徴を、ロマネスクと比較しながら幾つかあげてみる
 ロマネスクの半円アーチは、ゴシックにおいて尖頭アーチへと進化した。天により近づくため天井を上へ上へと高くするようになった。壁の外側からつっかい棒のように支える飛梁(フライング・バットレス)の導入で、外に開こうとする力を受け止められるようになったからである。ロマネスクの場合は、壁を厚くし、窓をできるだけ小さくすることで倒壊を防いでいた。飛梁の発明で、壁は薄くて済み、大きなステンドグラスをはめる窓を開くこともできた。(注・飛梁=控壁は既にビザンティン建築で使用されていた)
 また、ロマネスク建築で度々使用されていた交差ヴォールト(丸天井)にリブと呼ばれるアーチの筋をつけた。(リブ・ヴォールトと呼ばれる)この筋は天井を支えていると長い間信じられてきたが、今日の研究成果ではリブは天井を軽く見せるという意匠的・造形的な意図だったと考えられるようになった。
 ポラントリュイの代表的な宗教的ゴシック建築は、1475年にサン・ジェルマンに代わり小教区教会となったサン・ピエールである。1321年から1333年にかけて建築された後、改築を重ね、各時代の様式を取り入れながらも、内部は上記に述べた特色に忠実な、ゴシック色を濃く残している。
 

 
 ▲サン・ミッシェル礼拝堂内部
 飛梁によって支えられている。この建築技術によって,
大きなステンドグラスがはめられる縦型の窓を
開けられるようになった

 
 ▲サン・ジェルマン教会
ロマネスク〜ゴシックの過渡的建築物のゴシック部分。
正門は明らかなる尖頭アーチ。(第34話:ロマネスク様式参照)

 教会から南側に突き出したサン・ミッシェル礼拝堂は15世紀後半に完成、同名の信徒団体が惜しみなく財力を注ぎ込んだ、小さいながらもなかなか見ごたえがある一角である。ここにひっそりと置かれている「奇跡の聖母像」については連載の第18回をご参照に。

 教会では1978年から1983年にかけて、大規模な修復・改築工事が行われた。その際、内陣の華美過ぎるバロック調祭壇を取り除き、建設当時のスタイルに忠実な、ゴシック式へと改められた。さすがに傷みが激しいフレスコ画であるが、消えかかっている部分はそのままになっている。これは修復チームが取り決めたことで、
「我々は当時の人間にはなり得ない。つまり、彼らの感性・芸術観にはほど遠い。よって、いくら真似たところで絵は再現できない」
という信念から来るものである。なるほど、と私は感じ入った。有名な観光地の大聖堂は何から何までキンキラキンのピッカピカ、昨日描いたかと思われるような美しいフレスコ画があったりするが、それはあくまでも後世、丹念に手を入れられたゆえんである。

 実は「フェイクな」荘厳さに敢えてため息をつくか、または年月と共に消え、崩れ行く芸術に人の営みの儚さを重ねて無常感に打ちひしがれるか、貴方はどちらに心傾きますか?

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Last Update: Sep.23,2006