12月6日は聖ニコラの日。スイスの子供達には、聖ニコラが良い子にプレゼントを持ってきてくれるこの日の方がクリスマスよりも重要かも知れません。
ジェシカは7日に決まっていた帝王切開日ではなく、自分で6日を選んで生まれてきました。娘の誕生は、子供から親へと脱皮した私への、神様からのプレゼントなのかも知れないと思えてなりません。
初めての子を授かった私は、絵に描いたような「親バカ」になりました。ジェシカの辞書に「むずかる」という文字は無く、朝も昼も夜もベッドに入れればスースーとよく寝てくれました。 「早く起きてくれないかな〜」または、「まさか窒息死なんてしていないよね?」と、何度も子供部屋をそっと覗いてみました。彼女が寝ている間は、家族や友人にせっせと手紙を書き、赤ん坊のいる生活がいかに楽しいかを綴りました。 「世界で一番可愛い!」と有頂天の私が叫ぶと、夫は冷静に「そりゃジェシカは可愛いけど、世界で一番ってことはないと思うよ」・・・ですって。でも、親にとって子は世界に二つと無い宝なのです。せめて家の中ではそう言わせて下さい。
ジェシカが二歳の誕生日を迎えて間もなく、二度目の妊娠。ところが、今度の発覚は「出血」から始まりました。「流産の可能性があるからすぐに入院して下さい」病院でそう言い渡された後、泣きながら運転して帰宅しました。 (今思えば事故を起こさなくて良かった)そう言えば、疲れやすく、自我が芽生え始めたジェシカの行動にイライラしがちな毎日でした。次の日、ジェシカを夫の実家に預け、入院しました。第一子を授かってウキウキしていた前回と違い、 小さな命を奪われるかどうかという瀬戸際の入院は重苦しいものでした。私は「絶対安静」を強いられ、ベッドから一歩も降りてはいけないと言われました。
数日後、超音波検査の為、別室に呼ばれました。そんなちょっとした移動も「車椅子」です。黒い画面に子宮の内部が映り・・・あるものが認められました。「胎児は成長しています。大丈夫、ちゃんと生きていますよ」 それからはもう涙で何も見えませんでした。 おばあさんは退院し、ミッシェルの子宮筋腫除去手術は大成功に終わり、私達はそれぞれの生活に戻っていきました。おばあさんにはその後お会いしていませんが、ミッシェルは現在、四女の母です。 たまにスーパーで会いますが、子供四人を引き連れたその姿は「たくましい!」の一言です。
退院後、私はすぐに元通りの体になったわけではなく、二週間ほど安静にしていなければなりませんでした。その間、老人・病人の自宅介護を専門とする女性が家事を担当してくれました。費用は保険会社が負担。さすがプロの彼女は掃除、洗濯、アイロン等を限られた時間内に効率良く片付けました。彼女のアイロン中によくお話しましたが、感じの良い方でした。また、自腹を切りましたが、食事配達専門業者にお願いし、病院で出す食事を毎日正午に持ってきてもらいました。ポラントリュイ市の病院には優秀な料理人がいると思われ、毎日メニューが変わり、味もちょっとしたレストラン並だと付け加えましょう。
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