▲綺麗に展示されています
|
夏だ!祭りだ!
皆様いかがお過ごしでしょうか?
夏休みに突入し全国的に祭りムードが漂いますが、日差しがジリジリと照りつける鹿児島では、去る7月20日、鹿児島三大行事のひとつ「曽我どんの傘焼き」が、甲突川(こうつきがわ)の川原で行われました。
ちなみにあとの二つは、「妙円寺詣り」(関ヶ原合戦−旧暦9月14日−の最終局面で、島津勢が徳川方本陣を突っ切って鹿児島に帰還した際の苦闘を偲ぶもの)、
「赤穂義臣伝輪読会」(江戸時代元禄期の赤穂義士の討ち入りにちなむもの)です。
まずは、色とりどりの和傘をご覧下さい。これは、同じく甲突川の河岸にあります資料館「維新ふるさと館」に期間限定でお目見えした展示でございます。涼しげですね〜。
そもそも、傘焼きとは何ぞや?
もちろん私も初めて耳にする言葉ですが、文字通り傘を焼くんですね。鹿児島市内を貫流する甲突川の川原に台場が作られ、やぐらに投げ込まれた色とりどりの和傘が、火の粉を散らして川面を照らします。燃え上がる炎の周りを回りながら、ふんどし姿の若者たちが「曽我兄弟の唄」(短い節ですが、18番まであります)を歌う様子は、毎年多くの見物客を魅了します。
▲盛りだくさんのイベント
|
▲これが燃える??
|
▲河岸には人が集まってきています |
この伝統行事の由来は800年前にさかのぼります。以下、鹿児島三大行事保存会のホームページからの引用です。
"今を去る八百年前の建久四年(1193)5月28日、源頼朝(よりとも)は富士の裾野で巻き狩りを催した。その夜、降りしきる激しい豪雨を突いて、曽我十郎祐成(すけなり)と弟・五郎時致(ときむね)の兄弟が18年間の忍苦の末に父の仇、工藤祐経(すけつね)を討ち取って、長年の宿願を果たした。
この時、兄弟が闇夜の中で松明代わりに唐傘を燃やして辺りを照らし、祐経の陣屋に討ち入ったという故事に倣って、わが薩摩藩の若者たちの間に起こったのが『曽我どんの傘焼き』行事であった。"
▲リバーサイドコンサート
|
▲手作りの和灯り
|
▲ひとつずつ灯りをともします |
現在では唐傘が入手困難で、一時は行事継続が危ぶまれていました。しかし岐阜市和傘振興会からの和傘の提供(今年は300本)に加え、市内の中・高等学校や支援団体などの協力もあり、今では前夜祭やコンサート、伝統文化の披露なども交えた華やかなイベントとなっています。
▲暗闇の中で揺れる和灯り
|
▲じっと傘焼きを待ちます
|
パーンと打ちあがる花火もロマンチックですが、メラメラと燃え上がる炎も素敵ですよ。皆様も今年は是非、各地のさまざまな夏の風物詩をお楽しみください!
。
燃え上がる炎の様子は、鹿児島三大行事保存会のページをご覧ください。
http://www.pearlland.or.jp/hiroba096.htm
皆様、第2話はお楽しみいただけましたでしょうか? 次回もぜひ、ご愛読のほど宜しくお願いします。
Last Update: Jul.26,2008
|