本当の貧しさとは

2008年4月23日

アフリカの大地を緑に~ジャカランタの花咲くジンバブエから【第20話】

インド国境に近い村(ネパールにて)
インド国境に近い村(ネパールにて)

貧しさの定義ってなんでしょう。
実は、いろいろな見方がありまして、人間が生きていくのに必要なカロリーを確保できているかという判断基準もあります。ほかに国全体の貧富の差をいう方法 もあるようです。
ただ、世界共通の定義ということになると、2000年9月の国連サミットで採択された「国連ミレニアム宣言」の中で、「1日1ドル(US$)未満で生活す る人々」というのが、現時点では貧困のワールド・スタンダードということになっています。
この「国連ミレニアム宣言」の中では、「2015年までに1日1ドル(US$)未満で生活する人口の割合を1990年の水準の半数に減少させる」という目 標が示されました。このほかにも「2015年までに飢餓に苦しむ人口の割合を1990年の水準の半数に減少させる。」という目標もあります。

ジンバブエの場合、勤労者の給与は、平均月US$3-10の価値しかありません(2007年12月現在)。
スカイロケットハイ・インフレ(年150倍)とか、失敗国家・破綻国家とかいわれていますが、ジンバブエの貧しさは、救いようがないということでしょう。 一ヶ月の給料で、パンが15斤しか買えませんからね。もちろん、これでは食っていけませんので、給料の20倍値上げを要求してのストとかになるのですが。

村の子供たち(ジンバブエ東部にて)
村の子供たち(ジンバブエ東部にて)

目を覆うばかりの貧しさというものを見たことがあります。
ネパール南部のインド国境沿いに住んでいる、インドから逃れてきた耕すべき土地を持たない農業労働者の方々です。住まいというか、寝る場所は、屋根はカヤ で、壁はありません。そこに、小さな子供を含む家族が寝泊りしていました。マラリアを媒介する蚊がいっぱいいる地域なのですが。
ネパール人の現地担当に、「彼らには仕事はあるのか」と聞くと「ない」という。「しかし、農民なんだから、ネパールの農業省もほっとけないだろう」とたた み込むと、「彼らは、ネパール人ではないし、第一、言葉が通じないから、意思の疎通ができない。」
しまいには、この日本人は、なんてつまらない質問をするのかという雰囲気になってしまいました。
国の行政というのは、国民の生命と財産に責任を持つべきということなら、このインド政府からもネパール政府からも見捨てられた彼ら・彼女らこそ、最も救済 の手が必要なのかもしれません。
が、技術協力は「パンを与えるのではなく、小麦の作り方を教える。それも個々の農家だけではなく、国全体としての生産振興を図る。」という原則から、ただ ちに有効な手段がないのです。言い訳でした。

村人が行く(エジプト中部にて)
村人が行く(エジプト中部にて)

しかし、US$1が真に貧困の基準とは思えません。
お金だけで、貧富を問うことの愚かさは、皆さんもよく御存知のことと思います。
ネパールのヒマラヤ山中に入りますと、自給自足と物々交換だけで生きている村がいっぱいあります。なかなか直に接することは難しいのですが、彼ら・彼女ら の貧しくとも、つつましい生活に一種の平安を覚えるのは私だけではないと思います。
ネパールには「ヒマラヤン・ホスピタリティー」があるといわれます。
そういうものに出会えるのも、海外勤務のいいところかも知れません。