妊娠中、ひどい悪阻に悩まされていたことは第七章でも書きましたが、私は絵に描いたような妊婦でした。 朝起きて最初の行事は洗面所に駆け込むこと。まず、妊娠発覚の際の面白いエピソードをお話しましょう。
私と夫は、当時大ヒットしていた「シンドラーのリスト」という映画を見に、車で40分ほど走ってフランスの映画館にまで行きました。 ナチス恐怖政治時代、数多くのユダヤ人を自分の工場に雇ったシンドラーという名の男の物語です。彼のお蔭で強制収用所行きを免れたユダヤ人が生き延び、 あの時代にも彼のような勇気と英知ある男が存在していたのだと、一筋の光を見出した気分でした。その帰り、私と夫は車をマンション前に停めるや否や、同時 に茂みに駆け込みました。 「残酷な場面が沢山出てきた映画だったからねえ。それとも風邪かな?」と笑い合いましたが、私の嘔吐は悪阻のせいだったと間もなく分かりました。 それでは夫は何故? 未だに謎のままです。「夫婦の絆」と良い方に解釈しましょうか!?
▲マッターホルンを背に さすがに上らず、母とツェルマット にとどまりました。 妊娠中でも大好きな旅行はやめられません。 |
妊娠すると食べ物の好みが変わったりしますが、私の場合は異常な行動に走りました。 棒状でカニかまぼこ風味のお惣菜「スリミ」(スイスのスーパーに売っている)にマヨネーズをべったりつけて何本も食べると悪阻が治まったのです。 また、そうめんなら幾らでも腹に入り、何把もがつがつと平らげました。今思えば、出産雑誌の定番特集「妊婦・胎児に最も適切な料理」など全く無視した凄ま じい食生活でした。。
悪阻も治まった妊娠中期から後期にかけては、赤ちゃん用品を揃えたり、出産・育児雑誌を読むことが、何よりの楽しみでした。また、アメリカで婚姻した日 本女性が四人の「天才少女」を育てた本を読み、 いたく感銘を受け、私も彼女が推奨する「胎教」をやってやろうじゃないかと決意しました。
まず、文房具屋で画用紙を買ってきて正方形のカードを作り、平仮名・カタカナ・アルファベット・数字を鮮やかな色で濃く描きました。 そして毎日のようにカードの文字を指でなぞり、発音しました。その本によれば、お腹の中の赤ちゃんはもうちゃんと耳も聞こえているし、母親が集中すれば、 同じように学習しようとするのだそうです。 外出時にも、一応は人目をはばかりながら、目に見える景色がどのように美しいか、胎児に向かって説明し、優しく語りかけました。絵本も、声を出して読み聞 かせました。また、ソファにゆったり座って目を瞑り、クラシック音楽に耳を傾けました。 (現在はロックをガンガン聴いている私ですが)この胎教に効果があったかどうかは分かりませんが、一つだけ確かなことは、長女ジェシカは非常に育てやす く、赤ん坊の頃からむやみに泣いたりしない、感情の安定した子でした。 (次女リサの妊娠中は、折角作ったカードに触れもせず、全く胎教を施しませんでしたが・・・ジェシカよりやんちゃでハラハラさせられることが多いのはその せいでしょうか?)
▲生後3日目のジェシカ 帝王切開の手術中、心配だったパパ。 母子の無事を確認した後、 ボロボロ泣いたそうです。 (見たかったな~) |
妊娠後期、「逆子」が直らないと言われ、帝王切開を勧められました。夫婦で通っていた出産教室で学んだ「逆子反転運動」なるものを試みましたが苦しくなる だけ。そんなわけで手術日は94年12月7日に決まりました。 ところが、6日の早朝のことです。破水で目が覚め、夫の運転する車で病院に直行。いきなり物凄い陣痛が始まりましたが、やはり予定通り帝王切開になりまし た。全身麻酔で出産しましたが、この時の不思議な感覚は今も忘れません。 麻酔がかかっていても、重苦しい、内臓が引き出されているような痛みが途切れ途切れに続いていました。ふいに、「女の子だ!」という声。その後、記憶はテ レビでも消したように「ブチッ」と途切れました。
「ふぎゃふぎゃ」という頼りない声に目が覚めました。既に私は病室の中。傍にいた夫がジェシカを手渡してくれた瞬間、涙がどっと溢れ出ました。