ゴシック様式(宗教建築編)
永遠の隣人・フランスにおけるゴシック建築の誕生は、時代の流れと大きく結びついている。異民族の侵入や略奪の脅威がほぼ取り除かれた11世紀から12 世紀にかけて、農村部で大開墾運動が起こり、生産性が格段に上がった。食糧事情の好転は人口急増に繋がり、たった200年でフランスの人口は3倍以上、2 千万人を超えた。豊かになった農村地帯では労力が余り、都市部への人間の移動も始まった。 ロマネスク建築の教会が自然の中でのストイックな祈りの場、巡礼者が行き来する街道沿いの辺鄙な場所に建てられたのに対し、ゴシック建築の教会・大聖堂 が都市部に発達した一つの理由は、都市部に人口が集中し始めたことにも起因する。それまでの、身内だけの平穏な暮らしから数多くの他人に混じって暮らすよ うになったストレス・・・彼らは精神的な救いを祈りに求めた。 もう一つの理由は、発展した都市で台頭してきた市民・有産階級の経済力、そしてそれを利用して国内統一を目指す王・大領主の権力アピールの場としての建 築熱である。彼らは競って壮大で華麗な大聖堂を建てた。また教会は、文字が読めずラテン語を理解しない市民に対しても図解的に教義を説くことができる「巨 大な聖書」としての役割も果たした。現代においても、像やフレスコ画、壁や柱のレリーフに目を奪われる人間は、何も信者だけではないだろう。 ここまで述べてから、ふと気づいた。人間の本質というものは中世も、科学が発達し物が溢れた現代も、大して変わらないということを・・・
ゴシック建築の特徴を、ロマネスクと比較しながら幾つかあげてみる
教会から南側に突き出したサン・ミッシェル礼拝堂は15世紀後半に完成、同名の信徒団体が惜しみなく財力を注ぎ込んだ、小さいながらもなかなか見ごたえ がある一角である。ここにひっそりと置かれている「奇跡の聖母像」については連載の第18回をご参照に。 教会では1978年から1983年にかけて、大規模な修復・改築工事が行われた。その際、内陣の華美過ぎるバロック調祭壇を取り除き、建設当時のスタイ ルに忠実な、ゴシック式へと改められた。さすがに傷みが激しいフレスコ画であるが、消えかかっている部分はそのままになっている。これは修復チームが取り 決めたことで、 実は「フェイクな」荘厳さに敢えてため息をつくか、または年月と共に消え、崩れ行く芸術に人の営みの儚さを重ねて無常感に打ちひしがれるか、貴方はどち らに心傾きますか? |