オランダから見たドイツ《4》研究所とヒエラルキー(その1) (2008年4月30日)

ECNの隣に広がる球根畑では、今チューリップが満開
▲ECNの隣に広がる球根畑では、今チューリップが満開


ECNの社員食堂
▲ECNの社員食堂

ECNではオランダ語能力が必須でないおかげもあって、ECNの太陽エネルギー部門にはいろいろな国からの研究者が働いている。ヨーロッパにおける太陽 エネルギーを研究する公的研究所としては、前回述べたFraunhofer-ISEに次ぐ、No.2の地位にあると言えることもあり、世界各地から多彩な 人材が集まってきている。
アジア出身者はまだ筆者一人だが、イタリア、フランス、英国、スペインなど西欧諸国や、ルーマニア、ブルガリアなど東欧諸国、もちろん米国や豪州国籍者もいる。その中でも、外国出身者で一番多くを占めるのは、隣国ドイツ人である。

ECNで働くドイツ人たちは、他の外国出身者と大きく異なることがある。彼らは早々にオランダ語を習得してしまって、オランダ人同僚たちと普通にオラン ダ語で会話をしている。傍から見ているととてもドイツ人とは気づかない。古株の同僚に「ボクはドイツ人なんだ。知らなかった?」などと言われたこともあ る。ドイツ語とオランダ語は言語学的には非常に近縁の関係にあるので、彼らはたやすくオランダ語を習得してしまうのだ。

英語が得意なオランダ人といえども、ランチタイムはリラックスしてオランダ語が喋りたいものである。ランチタイムのテーブルの色分けは、オランダ語を喋 るグループと、英語を喋るグループに分かれがちである。われわれ外国人は、さながら外人部隊よろしく、英語を喋るグループに集まることになるが、ドイツ人 たちはどちらかというと、オランダ語グループで食事をすることが多いようだ(もしかすると、筆者が知らないないだけかもしれないが、オランダ語を母国語と するベルギー人もいるのかも知れない。)

du vs Sie

そんなドイツ人の同僚に尋ねてみたことがある。ドイツには他にもいい研究所があるのに、分野によっては、ECNよりいい成果を上げている研究所もあるのに、なぜわざわざオランダにやってきたのか。
帰ってきた答えはこうだった。「ここは組織がフラットで快適だ。ドイツの組織はヒエラルキーがきつ過ぎてボクには合わない。もちろんドイツで働いている人たちは、そういうヒエラルキー構造を働きやすく感じる人も多いけど、ボクはこっちが好きだ。」

ドイツの組織のヒエラルキー構造はけっこう明確で、日本に似ているところがある。研究グループのリーダーは必ず教授の資格を持っている。研究リーダーへ の敬意は厳格で、呼びかけるときは通常「○○教授」と呼ぶことになっている。また、上司をファーストネームで呼ぶこともそれほど一般的ではない。
ドイツ語を勉強したことのある人は、ドイツ語の二人称には du と Sie の二種類があることをご存知だろう。前者はくだけた表現、後者は丁寧な表現と習ったはずだ(実際はそれほど単純ではないらしいが)。ドイツの会社や研究所 の中では、親しい同僚や学生同士などでは du を使うが、それほど親しくない間柄や、上司に話しかけるときは Sie を使う、とのことである。日本でも、組織内で敬語(丁寧語)を使う状況とそうでない状況があるが、それと似たようなものと想像すればいいだろう。

筆者の共同研究先 Utrecht大学
▲筆者の共同研究先 Utrecht大学

オランダ語にも二人称は jij と u の二種類がある。文法的な位置づけはドイツ語と同じ、jij がカジュアルで、u がフォーマルである。しかし、u を使うと特別丁寧な印象を相手に与えるようで、話しかけられたほうは、何だこの人、と身構えることもあるそうだ。普通の会話ではいつも jij である。会社の中でも、同僚同士はもちろん、上司は当然、平社員が社長と話をするときですら jij を使う。
当然、名前を呼びかけるときはファーストネームで呼び合う。我々オランダ語を喋らない外国人社員もそれに倣う。部門長だろうが取引先だろうが、お構いな し、いつでもファーストネームである。共同研究先の大学教授を初めてファーストネームで呼んだときは、正直言って躊躇したが、彼が、○○教授と呼ばれると 気持ちが悪い、と言うので、今では平気でファーストネームで呼んでいる。

ニューヨークはかつてニューアムステルダムと呼ばれていた。
▲1650年代のニューアムステルダム
(Johannes Vingboons画,1664)
ニューヨークはかつてニューアムステルダムと呼ばれていた。

日本にいると、米国文化の影響からか、欧米人は誰でもファーストネームで呼び合う、との思い込みがあるが、実は、米国とオランダだけが突出して人間関係がフラットで、その他のヨーロッパ諸国はまだまだ階級社会の名残を残していることを忘れがちだ。
米国での人間関係がフラットなのも、実はオランダの影響が濃い。オランダはもともと不毛の地、欧州諸国からの亡命者たちの助けを借りて国づくりを進めて いった歴史がある。米国は、そのオランダをすら亡命していった清教徒・メイフラワー号の精神がその文化の礎になっている。その後英国から入植が増えて米国 は英語国になったが、建国精神の底流には、オランダ的なものが流れている。
オランダと米国がともにヒエラルキーの緩い社会を作ったのは、別に偶然ではない。

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