蘭学の祖国から (2006年5月26日)

2006年5月26日

 


▲Jan van Goyen(1596-1656)「川辺の風車」

▲Zaanse Schanseにある有名な「三連風車」

低い国。オランダ語による国名 Nederland には、そのような意味がある。 ゲルマン人たちがローマの進んだ文明を破壊してから幾百年、彼らがローマの遺産を食い尽くし、周辺領域への拡張に転じ始めた頃、ヨーロッパ半島の北西に住む一部のゲルマン人たちは、ある者は海を越えブリテン島へ、ある者はスカンジナビアを目指した。 そして、海を渡らず逆に海を堰き止めて、耕地を増やし牧草地を増やし、居住領域を増やしていった者たちがいた。新しく増やした土地はしばしば海面より低 かったが、常に北海からの強風にさらされるその地では、新しい土地から水を汲みだすのに風の力を利用することができた。そして、急な増水を速やかに遊水池 に導けるよう、運河が張り巡らされた。

貧しかったその地方は、海を堰き止め運河を張り巡らせる技術、風車を改良する技術、そして運河による流通の発展で、その厳しい自然環境にも拘らず、次第に豊かな地方となっていった。 いつのころからか、その地方は「低い国」、そこに住む人たちは「低地人」と呼ばれるようになった。21世紀初頭の今、その「低い国」には、1600万を 数える人が住んでいる。歴史上たくさんの移民を寛容に受け入れてきたその国には、ゲルマン人たちの子孫に限らず、多くの肌の色の異なる人々が住んでいる。 2005年7月から筆者は、Energy research Centre of the Netherlands というところで働いている。オランダ語で表記すると、Energieonderzoek Centrum Nederland、一般にはECNと呼ばれている。日本で言うところの財団法人的な組織で、運営予算の3割ほどがオランダ政府からの交付金で賄われてい る。持続可能社会実現のためのエネルギー技術開発を目的としており、石油など化石燃料の低排出利用技術、太陽光・風力などの自然エネルギー、エネルギー利 用効率改善技術、エネルギー政策の研究などが主なテーマである。筆者はここに、太陽電池グループの研究員の一員として加わった。


▲ECNとその周辺

筆者は特にオランダという国に興味があったわけではなかった。それどころか、面接を受けに初めてECNを訪れる以前は、オランダという国自体訪れたこと がなかった。ただ、北野時代に柏尾先生の世界史プリント丸暗記に情熱を燃やしたおかげで、歴史的背景を踏まえた上でこの国を眺めることができたと思ってい る。これから何回になるかわからないが、オランダで見たこと、感じたことを、この場を借りて紹介していきたいと思う。そして、筆者の本業である太陽電池に ついても紹介していきたいと思っている。


▲Keukenhof公園にて

なお、ご存知の通り日本では、オランダのことを彼らの呼び様をカタカナ化した「ネーデルランド」とは通常呼ばない。アムステルダムやハーグ、ロッテルダ ムなど主要港湾都市のある州(あるいは県と言うべきか)の名前をHolland(ホラント)と呼ぶことに由来する。この地名をポルトガル風に発音すると、 オランダ、となる。 16世紀末にオランダ人が初めて日本に来航した際、オランダ(Nederland)はHolland地方を含むいくつかの地域連合による実質的な独立国 だったが、宗主国スペインはまだ独立を承認していなかった。当時日本に地歩を築いていたスペインの友邦ポルトガル人達が、「彼らは(スペインの領土であ る)Holland地方から来た」と紹介したことで、日本では「オランダ」と呼ばれることになった。 脱線ついでにもう一つ。イギリスを英国、イギリス語を英語と呼ぶのは、オランダ語で言うところのイングランド語(あるいはイングランド人)Engels に由来する。「イギリス」はEnglishが訛ったものであるが、江戸時代の日本人はオランダ風に「エゲレス」と呼び、漢字の当て字を考案した。現代の日 本人が最もよく関わりを持つ外国語を「英語」と呼ぶのは、実はオランダ語が起源だったのである。日本人が蘭学に傾注していたころの名残と言えるだろう。