第八回 ミャンマーと日本との繋がり (1)言葉の類似性

2018年8月11日

それでは、今回から、ミャンマーと日本の様々面での繋がり(歴史上の深い関係や、国民性の類似点等)について、少しずつご説明してまいります。まずは、言葉の類似性です。

左の写真が、見難いかもしれませんが、ミャンマー文字です。左側の表の33個の文字は、夫々、特定の子音(最終行右端の文字は母音)を表しています。例えば1行目の左端の文字は、それだけだと「カ」と発音しますが、右側の手書きの通り、それに小さな記号を加えることによって「キ」、「ク」、「ケ」、「コ」になります。(高平、低平、下降の3通りの声調があるのですが、ここではその説明は省略します。)こういった文字の仕組みは、南インド起源で、現在、ミャンマー・タイ・ラオス・カンボジアの4か国(つまりは、上座部仏教の国ぐに)で使われています。

しかし、文法においては、ミャンマー語は、タイ・ラオス・カンボジアの言葉とは大いに異なっており、実は、特に語順と、助詞が重要な機能を持つことにおいて、日本語にとても良く似ています。英語では I  love  you.という文の語順を換える余地はありませんが、日本語では、「私はあなたを愛する」と「あなたを私が愛する」のどちらでも意味が通じますね。ミャンマー語も同じです。もっと大きな類似点は、英語で言えばNOTに相当する、否定を示す語が、文の最後近くになって現れる(つまり、何かをするのか、しないのかは、文の終盤にならないと判らないことが多い)ということです。

そして、重要なことは、ミャンマー人の場合、ともすれば、言い難いことは、はっきりと言わずに済ませようとするのです。例えば、「風邪でつらいので、早退したい」の内、前半の「風邪で辛い」の部分しか言わない。(この傾向は、ミャンマー人が英語で外国人と会話する時にも、明確に現れます。)第一回で、「とにかく断るということが苦手な人達なので」と申しましたのをご記憶でしょうか。要は、言わなくても察して欲しい人達なのです。我々日本人にも、ある程度そういうところがあるなあ、と思って頂ける方々も多いでしょう。だからこそ、日本人は、そういったミャンマー人の心情、ひいては国民性を、比較的早く理解できる訳です。

敢えて申しますと、大半のミャンマー人は、言い難いことを言わずに済ませようとする時にも、微笑みを絶やしません。日本人は、それを、「笑ってごまかそうとしている」と受け取り、表情が険しくなり、そのミャンマー人が益々本音を言えなくしてしまいがちです。或いは、往々にして、「自分の依頼を快く了解してくれたのだな」と、誤解してしまいます。

以前にも申しました通り、ミャンマーの人達は、もともとNoと言うのが苦手です。彼等が、上述の通り、重要なことでも、なるべくなら明確に言わずに済ませようとするミャンマー語で話す内容を、ミャンマー人の通訳に直接日本語に訳して貰うのを聞いているだけでは、相手の真意を誤解してしまいがちです。これは、ミャンマー在住期間の長い人達の中でも意見の分かれるところですが、私は、ミャンマー人と重要かつ複雑な「交渉事」を行う際は、直接英語で会話するべきである、という信念を持っています。外国人との交渉の当事者となるようなミャンマー人は、高校・大学で大半の教科を、英語の教科書を使って勉強してきていますので、たとえ英語を話すことは苦手でも、聞き取ることと読むことは、ほぼ大丈夫です。ミャンマーの場合、国際的な契約を英語で行うことが常識になっていますので、その為の交渉も英語で行うのが、むしろ自然なことなのです。日本側の交渉当事者が英語が苦手な場合でも、日本人のミャンマー語の達人に日本語をミャンマー語に訳して貰うよりは、英語の達人に英語に訳して貰うことの方をお薦めします。くどいようですが、「交渉事」に、ミャンマー人の通訳を起用してはならない、というのが私の考えです。

次回は、ミャンマーと日本の、歴史上の深い繋がりについて、ご説明しましょう。