今回の写真も、前回と同様、ポプラ社の「世界の国ぐに20 ミャンマー」から抜き出したもので、ミャンマーの小学生達です。素晴らしい笑顔でしょう。南国ですので、全体として肌の色が日本よりも濃いですが、顔つきは、日本人と良く似ている人が多いです。頬っぺたにぬっているのは、「タナッカー」と言って、ある柑橘類の木を削って粉にしたもので、おしゃれの一種ですが、肌を守り、ひんやり感じるようです。
さて。私が実際に二度体験したことですが。ミャンマーでは、今でも、お年寄りの運転手が、交通ルールの違反で、若い警官につかまっても、大抵の場合、「気をつけて下さいね」の一言で済んでしまうようです。今回は、何故そうなるのかについて、ご説明します。
日本では、会話している相手への敬称として、普通、改まった状況では「様」を、普通の状況で敬意を表すべき人や、自分より若くても女性には「さん」を、自分より年下で立場も下の男性には「君」をつけますね。親しい友人同士や、職場の仲間で気の置けない人には、敬称をつけずに呼び捨てすることも多いですし、かえって、そうしないと、なにかよそよそしい感じを与えてしまうこともあります。また、例えば、オーナー企業の社長さんが、年上の専務さん(いわゆる、番頭さん)を、敬称をつけずに呼ぶことがあっても、そう嫌な感じはしないでしょう。
ミャンマーでは、敬称無しで人の名前を呼ぶということは、まずあり得ません。男性相手であれば、自分より立場が上か、或いは、立場がかなり下でも1歳でも年上の人に対しては、敬称として、U(ウ)をつけます。例えば。私がミャンマー駐在時代に最もよく通った客先は、ミャンマー国鉄だったのですが、陸軍大佐から天下りした50歳の国鉄総裁が、現場で油塗れになって作業をしている人に声をかける時でも、自分より年上かもしれないと判断すれば、必ず相手の名前の前に「ウ」を付けます。立場が下で、年齢も下の男性に対しては、名前に「KO(コ)」をつけて呼びます。(なお、親が子を呼ぶ場合、或いは、親しくて、かつ、親子ほど年が離れている場合には、「MAUNG(マウン)」を付けて呼ぶこともあります。「○○太郎ちゃん」といった感じです。)
女性相手の場合は、年上か立場が上(立場が上の人の奥さんも含めて)であれば「DAW(ド)」、立場が下で、年齢も下なら「MA(マ)」を付けて呼びます。女性の場合、「若く見られたい」という思いから、「ド」を付けられるのを嫌がる人が時々いますが、呼びかける方としては、年齢が判らなければやはり「ド」をつけておくのが無難。例えば、子供の(或いは、孫の)通っている小学校の先生なら、いくら若くても、敬意を表して「ド」を付けます。
これらは、ミャンマーの社会で最も重要な礼儀であり、これが出来ない人は、とても軽蔑されます。(30年前は、外国人は、このルールを破っても許される雰囲気でしたが、今はそうではなくなってきました。もし将来ミャンマーにいらっしゃることがあったら、重々ご注意下さい。)
そういった事情から、ミャンマーの人達は、自分の周りの人達、特に自分との年齢差が少なそうな人達の年を正確に知ろうとします。第三回で、「積極的に人を幸せな気分にするように努力する」というお話をしましたが、自分より年上の人に対しては、そういった気持ちが更に強まる訳で、例えば職場で、年長の先輩からのアドバイスは、内心では従うつもりがなくても、その場では丁寧に感謝します。まして、お年寄りが相手だと、理由はどうあれ、その人を困らせるようなことは絶対したくない、と思っていますので、冒頭の、お年寄りの運転手のようなことになる訳です。当然のことながら、バスや鉄道の客車の中で、お年寄りが立っていることは滅多に無いですし、街中を歩いていても、お年寄りに敬意払われていることを度々実感できます。働けなくなったけれども、面倒を見てくれる子供も親戚もいないお年寄りは、お寺で面倒を見てくれます。(縁もゆかりもないお年寄りでさえ、大切にするのですから、前回ご説明しましたように、自分の両親をこよなく敬うのは、当然ですね。)お年寄り達も、自分なりにお釈迦様の教えに従ってきた人生を振り返り、来世にまた人間に生まれ変われることを信じていますから、寺院や仏塔でお祈りしている姿が、本当に安らかです。
それでは、次回からは、このミャンマーと日本の、歴史上の深い繋がりと親和性について、一つひとつご説明してまいります。