突然ですが。この写真の黄金のパゴダ(仏塔)は、伝説上は2,600年前、お釈迦様 が亡くなられた直後に聖髪を運んできて建てられたとされており、正にミャンマーの「上座部」仏教の象徴です。人口500万人を擁する最大都市ヤンゴンの中心部、東西南北の参道から約100段を登ったところに、この高さ約100メーターの仏塔が聳えており、全面が金箔(というより、金の板に近い)で覆われています。お祭り等の行事がなくても、早朝から、老夫婦が何組も仲睦まじく、座ってお祈りしており。そして、次第に、まるでディズニーランドのように、子供連れがどしどし詰め掛けて来て、しかし遊んだり騒いだりではなく、皆でじっと手を合わせて、心を安らかにしています。
パゴダとは、日本のお寺で言えば「五重塔」に相当する部分で、それ自体がお釈迦様に等しい、「祈る」対象であり、原則、在家信者が寄付を持ち寄って運営します。一方、ミャンマーにおける寺院は、そこに置いてある仏像を在家も拝みますが、一義的には、僧侶が集まって修行をする場所である、という違いがあります。いずれにせよ、国民の9割を占める仏教徒が住んでさえいれば、どんなに小さく貧しい村でも、必ず寺院とパゴダがあり、人々はそこに集い、僧侶が学校に行けない子供達に読み書きを教え、身寄りのないお年寄りの面倒を見ているのです。日本には約7万のお寺があり、9万人以上の僧侶がいる由ですが、ミャンマーには、(2007年時点で)5万7千の寺院に、24万3千人の僧侶と、30万6千人もの見習い僧がいて、在家信者が彼等を敬い、必要な全てのものを提供し続けています。(人口5千万人強ですから、男性がその半分として、その2%が、見習いもふくめたお坊さん、ということになります。ここでは、これ以上深入りしませんが、ミャンマーでは、女性は、正式な僧侶にはなれません。)
また、仏教徒の男子は、10歳前後で通過儀礼として得度し、一週間程度寺院で暮らすのが、通例となっています。仏教徒として極めておめでたい行事であり、大抵は、月収の数倍ものお金を使って、近所の人達や友人知人を食事に招待し、お寺に多額の寄付をします。(ちなみに、私のミャンマー人親友の一人はカソリックですが、奥様は仏教徒で、当然のように、息子さんにこの儀礼をさせていました。)
ある英国のチャリティー団体の調査において、2,014~2016の3年連続で、ミャンマーが、収入の一定割合以上を寄付するという意味での「世界寄付指数ランキング」の1位となりました。(2017年のデータは未入手です。)お金持ちだけでなく、貧しい人達も、お寺やパゴダに行くと、金額はともかく、様々な形で寄付を行い、それらが回りまわって、上述のような社会福祉の機能を果たしているのです。
以上の事々から、仏教が、ミャンマーの人達の心と生活に深く浸透していることをご理解いただけたかと思います。次回は、いよいよ、ミャンマー仏教の内容について、ご説明致したいと思います。