第十二回 再開のご挨拶 x ミャンマーのスマホ普及と送金利用

2020年3月11日

我が愛する国、第二の故郷ミャンマーについて、一昨年の6月から9月までに計11回の投稿をさせて頂き、沢山の方々から有難いご感想も頂いていたのですが、息切れして、1年半も中断していました。面目ありません。その後、二度現地に行く機会があり、色々な変化を見てきました。昨年の6月には、東京六稜倶楽部で「もっと幸せに生きるヒントをミャンマーから学ぼう」と題して、お話させて頂きました。また、あるNPO経由の仕事で、三つの大学で学生達にミャンマーの魅力を語る機会も貰い、ミャンマーという国が若者には殆ど知られていないのだな、ということを痛感しました。そういった中で、新たに感じたことも多々ありますので、突然ですが、今度はスローペースで、投稿を再開させて頂きたいと思います。六稜同窓会の幅広い世代の皆様に、ミャンマーについて少しでも興味を持って頂いて、その中から、「面白そうだから、一度行ってみようかな」と思って下さる方々が沢山でてこられることを、心から願っております。

さて前回(第十三回)は「ミャンマーと日本との繋がり(4)泰緬鉄道とインパール作戦」、つまり戦時中のお話でしたので、本来であれば、戦後の日本とミャンマーの関係についてご説明するべきなのでしょうが、今回はその主題は休憩して、掲題のお話をしたいと思います。

実は、まだ年間の一人当たり国民所得が千ドル強というミャンマーで、固定電話の普及率はいまだ僅か1%程度なのですが、携帯電話は、今や、国民の人口と同じ数くらいが使用され、つまり単純計算では10割の普及率に達していて、しかもその大半はスマホです。電化されていない、つまり自家発電機がないとテレビも見られない地方の農村でも、スマホが使われています。その直接のきっかけは、2013年、ミャンマー政府の英断で通信事業への外国企業参入権利の入札を行い、ノルウェーとカタールの会社が落札して、やがて営業を開始したこと、そして、長年通信事業を独占していた国営の郵便電話公社に、日本の通信会社と総合商社が協力して、その三者で激しい競争を始めたからなのですが、ほんの5,6年前は1割を切る普及率で、あくまでお金持ちや官庁・企業の幹部のためのものでした。固定電話が普及していれば、このような速度でスマホが出回ることもなかったでしょう。この余りにも急速な普及は、今、世界から、「開発途上国が、正しい選択と適切な方法を使えば、先進国が過去に行ってきた過程の多くをすっ飛ばして、遥かに早いスピードで最新技術を獲得・普及し、経済発展に結びつけることができる」ということ(これを、経済用語で「リープ・フロッグ(蛙跳び)」といいます)の最高の実例として注目されているのです。もちろん、なんでも外資を導入して競争させれば上手くいく、などとは申しませんが、これから、他の面でも同様の「蛙跳び」が起きることが、大いに期待されます。

一旦話が逸れますが。ミャンマーでは、両親をとことん敬い、家族を極めて大切にしますので、特に親を田舎に残して若者が都会に出るということ自体が想像し難かったのですが、21世紀になって、農業の急速な機械化と、都会での労働集約型製造業(縫製業等)の成長により、若者や壮年男性が、両親や妻や子供を農村に残して都会に出稼ぎにくることが増えています。今の日本では、子供が地方にいる両親に仕送りするというケースは、率的にはごく少ないでしょうが、ミャンマーではごく自然なことです。一方で、農村には銀行など殆ど無いですから、銀行口座を持つ人の率全国zベースでせいぜい3割程度、田舎では1割未満です。よって家族への送金は、現金を、専門の業者経由で、長距離バスの運転手さんに預ける等、とても不便で、もちろんトラブルもありました。しかし今は、スマホを利用して簡単に送金できるようになっているのです。(人口5千万人強の国で、そういった送金が既に年間2千万件くらい行われているようです。)大都市の送金サービスの受付のお店に現金を持参し、田舎のお父さんのスマホの番号をインプットすれば、お父さんが、いわゆる「よろず屋」のようなお店で即刻現金を受け取れるという仕組みで、だからこそ、田舎の親もスマホを持つ訳ですね。

そして、そのスマホによる送金サービスの普及の影響もあって、都会の大きなスーパーマーケットから、小さな「よろず屋」的なお店まで、スマホによるキャッシュレス決済の可能なお店が増えています。聞くところによると、中国はキャッシュレス決済比率が6割を超えているものの、日本とドイツはまだ2割程度で、他の先進国と比べても圧倒的に低いレベルに留まっている由ですが。日本がミャンマーに追い越される日も近いかもしれません。

それでは次回は、再び日本とミャンマーとの繋がりのお話に戻りましょう。