2018年7月 のアーカイブ

第六回 両親への敬慕

前回の最後に、「次回は敬老精神について」と申しましたが、まずは、その中でも最重要の、両親への敬慕について、ご説明します。この写真は、少女が、就寝前に、両親を拝んでいるところです。ポプラ社の「体験取材!世界の国ぐに20 ミャンマー」からの抜粋ですが、私自身、ミャンマー人の自宅に夕食に招かれた際に、このような光景を2度目撃しており、正に厳粛な雰囲気で行われていたのを、良く覚えています。子供達は、本当に、心から両親を敬い、慕っています。

親による子供の躾が日本と比べて特に厳しいというようなことはなく、むしろ親はいつもニコニコしていています。それが可能な家庭では子供の教育に惜しげなくお金をつぎ込みますが、とはいえ、「教育ママ」的なこと、つまりは、遊び盛りの子供が嫌々勉強させられるといったことも極めて少ないようです。第一回でご紹介した、ミャンマー人男性が家族と夕食を共にすることを重視する等の様子からも、とても家庭的で子供を愛する人達であることが判ります。しかし、何らかの理由で、一旦、親が子を叱り始めると、子はあっと言う間に、素直に親の言うことに従います。それは、大人になっても変わりません。私が仕事上知り合った様々な人達と雑談していた際にも、それを度々窺い知ることが出来ました。

(出家や国軍入隊は別として)子が結婚前に親と別居することは殆ど考えられません。子が選んだ結婚相手に対して親が反対することは、現代では殆ど無いようですが、とはいえ、いわゆる「最終決定権」は、いまだに親にあります。そして、結婚しても、子の中の誰か一人が同居、或いは同じ敷地内に住んで、親の老後の面倒を見るのが、ミャンマー人社会における常識です。

前回までに申した通り、ミャンマー人の名前には名字(family name)が無くて、「家系」という発想も無く、息子が引き継いでいくべき仏壇も位牌もお墓も無いですし、財産分与も、分けられるものについては、男女・長幼の差別をしないのが大原則です。例えば農家において、土地や牛を分割してしまったら、夫々の規模が小さ過ぎてやっていけない場合は、長男が相続するのが慣例ですが、そういう場合、土地相続者が両親の面倒を見ます。しかし、財産分割にそのような不公平が無い場合は、誰が両親と同居するかについてのルールはなく、たまたま都合が良い子供が同居する、というふうに決まります。

義理の父母との関係も、普通日本で一般的と理解されているようなレベルよりも遥かに親密度が高く。私の友人の一人はミャンマー人女性と結婚して、19年間ミャンマーで働き続けているのですが、10年ほど前に、愛媛県で一人暮らしをしている、彼の母上が病気になった時に、そのミャンマー人の奥さんが、夫と二人の小さな子供をミャンマーに残して、半年間愛媛県で、義母の看病をされていました。夫と子供が、彼女の実家の隣に住んでいるから可能であったにしろ、そういったことをさして美談とも思わないのが、ミャンマーの人達なのです。(ミャンマーにおける夫婦の間の力関係については、一言で申すと、妻の力が実に強いのですが、これについては、別途じっくりご説明します。)

この両親への強い尊敬の念は、ミャンマー文化の歴史的伝統であり、前回までご説明した上座部仏教の教えとは、直接の関係はない、と言われています。上座部仏教においては、出家者は当然家族との縁を切りますし、在家についても、特に「親を敬え」といった教えは見受けられません。大乗仏教には、「父母恩重教」という、父母への報恩を強調するお経がありますが、これは、儒教の教えを踏まえて、中国で新たに作られたものです。とはいえ、第三回で申した通り、上座部仏教の説く輪廻転生に基づき「自分の周りの人達を悲しませることは大きな罪である」と固く信じている訳ですから、周りの人達の中でも最も身近である両親のことを大切にすることも、上座部仏教の影響だと言えるかもしれません。

結局今回も理屈っぽくなってしまい、すみません。次回は、ミャンマーの人達が、周りの人達の年齢を常に意識して、一歳でも上の人は年長者として重々敬うということ、ましてお年寄りに対する敬老精神は著しいことを、ご説明します。

 

第五回 上座部仏教 (4) 日本の仏教との比較

 今回も、ミャンマーの上座部仏教についてですが。第二回から第四回まで、かなり理屈っぽいお話が続きましたので、今回は、日本の仏教との大きな違いを、別の角度から、私が実際にミャンマーで経験した、具体的な行事を例に挙げながら、ご説明します。

この写真は、後ほどご説明しますが、11月の満月の祝日に、私が職場の仲間のミャンマー人の人達と一緒に、事務所の近くのお寺に寄付したものです。判り難いですが、左側の三角形は、板にお札を張り付けたもので、右側は食料品です。

さて、ミャンマーでも、キリスト教徒の人達は土葬していますが、仏教徒、特に都会では、殆どが火葬です。日本との大きな違いは、お骨を拾うということが無く、焼いたらそのまま、つまり、灰が風に吹かれて飛んでいくままにすることです。ミャンマーでは、例えば父親が亡くなった時、その父親は生前十分に善行を積んでいたので、お葬式の頃には、もうどこかの幸せな家庭の赤ちゃんとしてオギャーと生まれ変わっている、と信じていますので、遺骨と灰には、特段の思いは抱かないのです。日本のような、四十九日の間、閻魔大王達に生前の行いを裁かれている、というような考えもありませんし、大王の「浄頗梨(じょうはり)の鏡」に生前の悪事が映しだされてしまい、地獄に落ちることになった人を助けるためにお祈りする、ということもありません。大抵の家庭に仏壇はありますが、それはお釈迦様に対してお祈りする為のものであり、亡くなった方々の戒名を記した位牌というものも全くありません。

少し話が逸れるようですが、実は、ミャンマーでは、名字(Family Name)というものが無くて、夫々の人の名前は、全て、両親が考えて決めたGiven Name なのです。(今、日本で最も有名なミャンマー人といえば、現政権の事実上のトップであるアウン・サン・ス―・チー女史でしょう。彼女の父親が、独立の父アウン・サン将軍であることから、「アウン・サン」がFamily Nameであると誤解する方々も多いのですが、実は、アウン・サン将軍が、娘の名前の中に自分の名前を残したいと考えたからに過ぎません。「アウン・サン・ス―・チー」全体が日本人で言えば花子にあたるような名前なのです。)Family Nameが無いということは、代々守り続ける「家」、「家系」という概念が無い訳です。(過去の王朝における王家の血統は例外ですが、ここでは、そのことには立ち入りません。)この影響で、普通のミャンマーの人達は、自分が直接お世話になった祖父・祖母は大いに尊敬し永遠に忘れませんが、それ以前の、自分が会ったことも無い遠い祖先については特段の思いはありません。(従い、女性は、歴史的にも、結婚して夫の「家」に嫁ぐのではないし、結婚しても名前は全く変わりません。)

仏教の話に戻ります。10月の満月の日、ほぼ雨季が終わりに近づいた頃に、「灯明祭り」という仏教の重要な行事(祝日)があり、この時、パゴダ(仏塔)や寺院等に沢山の灯りをともします。

実は、お釈迦様が布教したインド東部の地域と、ミャンマー・タイ・カンボジアの平地の気候は似通っていて、5月終わりくらいから10月くらいまで降水量が多いのですが、お釈迦様は、その間の特に激しい3か月間を「雨安居(うあんご)」と定めて、彼の教団は原則一か所に留まって集団で修行に専念することとしました。外出に不便だというだけでなく、その頃に外を歩き回ると、草木の若芽を踏んだり、地を行く昆虫を踏み潰したりするリスクが高いことが理由であった、と伝えられています。ミャンマーでは、在家の人達も、この期間は、なるべく慎み深い生活を心がけます。

その分、上述の「灯明祭り」は、暦の上での「雨安居」明けの、いわば3か月ぶりの「晴れ晴れした気分」を味わう日です。踊りこそ無いものの、日本人がそのお祭りの様子を見たら、「これは、お盆祭りだろう」と推察するのですが、それは大きな誤り。日本のお盆とは、ご存じの通り、ご先祖様達が家に帰ってくる機会であり、ご先祖様のために灯明を掲げて家に案内するものですが、ミャンマーでは、上述の通りご先祖様はとっくにどこかに生まれ変わっていますので、この祭りにも全く関係ありません。実は、数多くの灯明は、雨安居の間に、天上でお休みになっていたお釈迦様が、地上の様子を見に降りていらっしゃる際に、判り易いように、との目的で掲げているのです。ちなみに、この灯明祭りから一か月の間に、人々は、普段お世話になっているお寺のお坊さん達に、様々なものを寄進します。(伝統的には袈裟が主でしたが、現代では、お坊さん達の生活に必要な様々なものが利用されています。上の写真を参照下さい。)11月の満月も祝日となり、多くの寺院や仏塔が、寄進に訪れた人達で賑わいます。

ミャンマーでは、国民の祝日が、20日前後ありますが(振替休日の制度が無い等いくつかの事情で、年によって少し増減。)日本でいう年末年始にあたる長めのお休みが、ビルマ歴(太陰暦)の正月(西暦の4月の満月の前後)ですが、それ以外にも、3・5・7月と上述の10月・11月の満月が、仏教起源の祝日となっています。それと、在家の人達も、新月と満月、人によっては、その中間日(つまり、8日目と22日目)は、好きな人もお酒を控える等、なるべく慎み深く振る舞います。ミャンマーで売られているカレンダーには、必ず、新月から次の新月での間に番号が振られているのですが、多くの人々は、それを見るまでもなく、今日の月は何日目なのかということを意識しているのです。

次回は、ミャンマーの人達の敬老精神についてご説明しましょう。

 

第四回 上座部仏教(3)

 今回の写真は、第二回でご覧いただきましたシュウェダゴンパゴダの、遠景です。パゴダの周りは殆ど緑で覆われているように見えますが、写真の左下からパゴダに向けて、参道が通っていて、その屋根が見えています。この写真だと、パゴダの100Mという高さをよくお分かり戴けるでしょう。

さて、前回は、上座部仏教の浸透により、「輪廻転生」を固く信じ、それ故に、人を悲しい気持ちにさせたくない、その為に「Noと言えない」ミャンマー人、というお話をしました。今回は、同じく「輪廻転生」を信じるが故の、国民性の大きな特徴、それが別の角度からミャンマーの人達の優しい性格を形作っていることを、ご説明します。

前回、現世の行いにより、来世に人間に生まれ変われるかどうかが決まる、と申しましたが、それは、現世に人間であるということは、前世において、現世人間に生まれ変われるだけのレベルで人間らしい行いをしていた、ということも意味します。しかし、それが決して簡単ではなかったであろうこと(人間は、ついつい悪いことをしてしまうこと)は日々実感していますので、よくぞ人間に生まれ変わることができたなあ、それだけでも嬉しいことだなあ、と感じることができます。そして、現世で、多少辛いこと、悲しいことがあっても、「まあ、これは前世で犯した悪行の報いである。これくらいのことは仕方が無い。」と、素直に我慢できる訳です。人間ですから、例えば他人から侮辱されたりしたその瞬間は怒りますが、少なくとも、落ち着いて冷静に考えられるようになった時は、相手に対する怒りや復讐心というものも収まります。その人が悪意でやったことであれば、来世で必ずその報いを受けますから、自分で復讐する必要は全くありません。

一つの歴史上有名な例を挙げます。第二次世界大戦の折、日本軍の占領と、それに対する英軍からの空襲等で、ミャンマーの国土も資源も、甚大な被害を受けました。ここでその詳細には立ち入りませんが、是非はともかくとして、日本軍は、様々な形で、ミャンマーの人達に恨まれても仕方の無いことをしました。しかし、日本軍が敗れて、逃走しながらも力尽きた日本兵達を、ミャンマーの人達は懸命に匿ってくれたのです。(これは、私の友人でミャンマー経済の研究者の著書に書かれていたことですが、)もし、日本を占領していた軍隊が、敗れて逃走中に倒れた際に、我々日本人は、自宅に彼等を匿うでしょうか?時代は更に遡るとはいえ、大河ドラマ等でしばしば見るのは、むしろ非情な「落ち武者狩り」でしょう。更に戦後、ミャンマー政府は、いち早く米の生産を回復し、いくらでも高く売ることができた時代に、その米を、食糧不足に苦しむ日本に、優先的に輸出してくれました。戦後賠償金の交渉においても、他国の要求よりも遥かに低レベルの金額で、真っ先に妥結してくれました。これらは皆、恨みは残さず、今、目の前で困っている人を助けることによって善行を積もうという、ミャンマーの上座部仏教の精神によるものなのです。

仏教に偏った、かなり固いお話が、3回続いてしまいましたが。次回は、日常生活や暦の上でのミャンマーの仏教が、日本のそれとどう違うかについて、私の経験談を中心に、ご説明致したいと思います。

 

 

第三回 上座部仏教 (2)

 今回の写真は、ヤンゴンのチャウタッジーパゴダにある、長さ70メーター、高さ17メーターの寝釈迦像です。前回の高さ100メーターの黄金のパゴダとはまた違った迫力でしょう。

さて前回は、ミャンマーにおいて仏教が篤く信じられていると申しましたが、今回は、彼等の仏教の内容についてご説明します。
ちょっとだけ難しいお話をしますと、お釈迦様が亡くなられてから約百年後に、仏教の教団が、保守的な上座部と、革新的な大衆部に分裂します。上座部とは、誤解を恐れずに要点のみを言うと、お釈迦様の語られたことを厳格に守り、修行を重ねた僧侶だけが悟りを開く(輪廻転生から脱する)ことができると信じる僧侶達で、これが現在、スリランカ・タイ・ラオス・カンボジア、そしてミャンマーで信じられている上座部仏教に繋がります。一方の大衆部は、新たな解釈を付け加えて、仏教の力で、僧侶以外の在家の人達をも救えると信じる僧侶達であり、これが、その後大乗仏教の諸宗派に発展して、現在の日本の仏教に繋がっています。「大乗」とは、僧侶だけではなく、在家の人達も全て「救う」、つまり「極楽」浄土に連れていくことのできる、大きな乗り物、という意味です。
上座部仏教でいう「悟りを開く」とは、「輪廻転生」の循環から脱するということなのですが、大事なのは、ミャンマーの人達は、本気でこの「輪廻転生」を信じていることです。つまり、偉いお坊さんになって悟りを開かない限り、死んだら、自分が現世で行ってきたことに応じて、天人道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道の6つの内のいずれかに生まれ変わり、それが永遠に続くのですが、普通の人の本音は、苦しい修行を経て悟りを開いて、訳の判らない世界に行ってしまうのではなく、来世も何としても人間に生まれ変わりたい、ということです。その為には、現世において、それに相応しい行いをしなければなりません。(人間道以外の5つについての説明は、いつか別の回にいたします。) 私は、ミャンマーの人達が、そう信じていることこそが、彼等の温厚・親切・気配り・笑顔の最大の理由であると考えています。
来世も人間に生まれ変わるに相応しい、正しい行いとは、何か。殺人や盗み等、お経において明確に禁じられていることは、当然、絶対にやってはならないのですが、お経に書いてないことは、時々は偉いお坊さんの助言を求めることはできても、その時その場の状況に応じて、自分で判断しなくてはなりません。法律上は許されることであっても、自分が、「これは悪いことだ」と感じたら、やってはいけないのです。一気に結論に飛びますと、そのことが、ミャンマーの長い歴史と文化の中で、「自分の周りの人を悲しませることは、大きな罪である」という信念を形成してきました。とはいえ、人間ですから、いくら気をつけていても、意図せずに人を傷つけるようなことを言ってしまいますから、その罪を償う為に、積極的に人を幸せな気分にするように努力しなくてはなりません。人を悲しませた罪は、人を幸せな気分にすることでしか、償えない。いくらお寺やパゴダに寄付しても、駄目です。だからこそ、ミャンマーの人達は、いつもニコニコしている訳です。第一回でご説明した、家族のことを気遣って家族と共に夕食を楽しもうとするお父さん達の話も、これが理由です。
とにかく、人を悲しい気持ちにさせたくないので、いわゆる「NOと言えない」こととになります。(昔、NOと言えない日本人という本がありましたね。ミャンマー人と日本人の親和性が高い理由はいくつかありますが。ここも重要な点です。)それがプライベートな会話だけならよいのですが、仕事上で上司からなされた指示・命令に対して、それが無理筋だと思っても、その場で明確に断れず、一旦引き受けてしまう、というパターンに嵌ってしまいます。ミャンマー人同士なら、表情や仕草で、相手の真意を汲み取るのですが、昔の私も含めて、日本人の駐在員は、そんなことは判らず、部下や友人のミャンマー人が指示通りに出来なかった場合に、怒ってしまうのです。
往々にしてミャンマーの人達は、自分に責任の無い、いわば「不可抗力」によって約束を守れなかったことについて、とても寛容で、その「不可抗力」と見做される事柄の範囲も、我々日本人の平均レベルよりは、広いです。(まあこの点は、日本人の方が狭すぎるのでしょうが。)
それでは、もし仕事上、日本人の駐在員が、ミャンマー人の人達に、絶対にやって貰わねばならないことを頼む際の秘訣を、申しましょう。その人が、誠意をもってやろうとしたが、何らかの「不可抗力」のために、期限までに出来なかった場合に、その駐在員の勤務先の会社に少々損害が発生しても、彼等は罪悪感を抱きません。そうではなく、頼む人、頼まれたミャンマー人の上司或いは友人である日本人が、窮地に陥るのであれば、全く話は別です。つまり、最初に頼む時に、それを期日までにできなかった場合に、会社ではなく、頼んだ人がいかに厳しい立場に追い込まれるかということを、ちょっと大袈裟に訴えるのです。そうしておけば、「不可抗力」が発生した際に、期日まで待たずに、早めに報告してくれます。そして、ここが大事ですが、それでも出来なかったことに対しては、決して怒らず、精一杯「悲しい」表情で、うなだれておけば、その頼まれたミャンマー人との信頼感が深まっていくでしょう。

次回も、この上座部仏教の影響について、別の確度からお話ししましょう。