1.ラマダンに入りました

2012年8月3日

この6月初めより、転勤でジャカルタに赴任となりました。現在、石油開発会社に勤務しています。

今回は、オーストラリアとEEZ(排他的経済水域)を接するところの海底ガス田の大型開発プロジェクトに従事するために多くの仲間とともに参加しています。ただし、自分自身は、資源工学出身とか地質屋でも掘削屋でも何でもありません。

インドネシアについては、2005年頃でしょうか、岩崎日出雄氏(98期)が、マスコミの特派員としての観点から当時の出来事を中心に詳細な記事を本ページに投稿されています。岩崎氏とは比較にならないし、また赴任したばかりで日が浅く、これから書き進めていく文章もその時々の印象が中心となりかつ前言を翻すようなこともあるかもしれませんが、その点はご容赦ください。

前置きはさておき、インドネシアでは2012年7月21日からイスラムの断食月、ラマダンに入りました。日中太陽が顔を出している間は、イスラム教徒は一切の飲食、喫煙と性行為が禁じられています。妊婦、病人、旅人、小さな子供がいる母親等以外の成人は基本的に断食を行いますが、義務ではなく自律的な行為でこれを行うことになっているので、体調が悪い等の理由で守れなかった日は後日補うことが許されています。

ジャカルタなどの大規模都市では、かえって周囲の目が気になるようで比較的断食を守っているようですが、田舎に行くとルーズになると言われています。そのジャカルタ、乱立する高層ビルと平屋根の住宅が続く、典型的なアジア的混沌さを表徴した1400万人の大都会です。ジャカルタの町については稿を改めて書きます。今日は、ラマダンと宗教の多様性についてもう少し書き進めます。

ラマダン開始の日は通常イスラム教知識人(イスラムでは建前上聖職者はいないはずですが、モスクにおける導師とかコーランを解釈するイスラム法学者と呼んでいる人たちはいます)が月の満ち欠けを見て新月と判断し、イスラム太陰暦の9月(預言者ムハンマドが神から啓示を得た月)に入ったことを決めるのです。しかし、新月の判断は直前までぶれることがままあります。今年も7月20日からというのが大方の予想でしたが、19日になって宗教省が7月21日と決めました。一方、イスラム団体の一部ではこれと同調せずに7月20日をラマダンの開始日と決めたところもあります。筆者は、開始が一日ずれこんだねとスタッフに行ったら顰蹙を買ってしまいました。ずれこむとか一日延期になるという発想ではなく、あくまでも神聖なDecision との考えですね。

ラマダンは、イスラム太陰暦に従うので、例年11日程度ずれてきます。今年は北半球では夏にあたるので、北に行くほど日中の断食時間は昼の時間が長いため、水も飲めない時間も長くなり辛いものになりますが、ここジャカルタは南緯5度とほぼ赤道直下ですので、緯度からくる影響はありません。インドネシアは世界で最大のイスラム教国です。

インドネシアの人口約2億4000万人のおよそ90%がイスラム教徒と言われていますが、他の統計では77%という数字もあり、実態は不明です(感覚的には後者の数字のほうが実態に沿っていると思っていま)。とはいっても1億7000万人から2億人を超える人がイスラム教を信仰していることになり世界最大には変わりありません。残りのうちキリスト教10数%、さらにヒンドゥー教徒がいます。仏教徒は200万人程度です。バリ島はヒンドゥー教の島(人口の9割がヒンドゥー教徒)として知られています。また、ジョグジャカルタ郊外のボルブドゥール遺跡は、世界三大仏教遺跡の一つです(あとの二つは、カンボジア・アンコールワットと中国の敦煌莫高窟でしょうか?仏像がタリバンによって爆破される前のアフガニスタンのバーミアンは、残っていれば最重要な仏教遺跡でしたが無残なことになり残念なことです)。

インドネシアにはパンチャシラと呼ばれる建国5原則があり、その一番目が、唯一神への信仰です。これはまた、インドネシア共和国憲法29条に反映されていて、「唯一神への信仰は国家の基礎である」そして第2項で信仰の自由、宗教活動の自由が謳われています。

では、この唯一神とは何を指すのか、アッラーだけを意味するのかというとそうではないのです。キリスト教、ユダヤ教もイスラム教と同じ神を信仰しているので合致しているのですが、多神教と言われるヒンドゥーではどうなのでしょうか?同僚のインド人に聞いてみました。「ヒンドゥー教は確かに多神教と言われるけれども、多くの人は三大神と言われる、ブラフマー神、ヴィシュヌ神、シバ神のいずれかを信じているので問題はない」と言っています。唯一神であり絶対神となっていないところがミソですね。

翻って、仏教はどうなのでしょうか?教義が多岐にわたっていますが、仏教で神というとやはりお釈迦様、即ち大日如来のことになるのでしょう。ただ、「悟りを開く」というのが一貫した仏教の姿勢なのだと思っています。また、仏教にある「衆生救済」思想もそこからは神の存在は導き出されないように思えるのですが。なかなか全体像を掴みにくい宗教であることは違いありませんね。ということでこの国では銀行口座を開くときにも宗教を記載させられるのです。無宗教は許されていないのですが、誰が何を信仰しいるかを知ることは日常生活での付き合いでは重要なことです。これはプライバシー以前の問題だと思えます。

さて、話をラマダンに戻します。ラマダン期間中の人々の生活はどうなるのでしょうか。
ラマダン中は、イスラム教徒の5つの義務のうち3つをしなければならないとされています。
1) 断食
2) 祈り
3) 喜捨
残る二つの義務は、信仰告白とメッカ巡礼(ハッジ)です。

このうち、お祈りですが、一日5回メッカに向いて直立した状態から、敷物に向かって屈み額を付けて拝礼します。一回につきその拝礼の回数は決まっていて、一日合計で17回です。お祈りの時間は、インドネシアでは次の通りとなります。サウジアラビアになりますとこの時間は厳格に決まっていて、お祈りの時間になると人々はモスクに集まるため、商店は閉められ人通りは途絶えます。
① Subuh  04:30 ~ 06:00
② Dzubur 11:45 ~ 14:00
③ Ashar  15:00 ~ 16:30
④ Maghreb  18:00 ~ 19:00
⑤ Isya 大体 19:00 ただし、翌朝03:00 まで可

ラマダンに入ると大変なのは、実は昼間の断食よりも、上のお祈りの時間と食事からくる寝不足です。お祈りの時間は通常月と変わらないのでなぜかと思われるでしょうが、午後6時から翌朝6までに間に、お祈りが3回と夕食、そして一日の英気を養うヴォリューム満点の朝食を作り食べなければなりません。この期間、朝は3時くらいからモスクからお祈りを呼びかけるアザーンが始まります。また、隣人を起こすためのドラムや空き缶をたたいたり花火を打ち上げたりする人もいます。

現在滞在しているホテルは、近くにモスクが2件あり、平素は朝のアザーンも静かだったのですが、今日は大きな声と、あの音は一体なんだったのだろうか、人工的な大きな音で5時には目が覚めてしまいました。我々外国人も体の調整が必要です。

平日昼は、普通に仕事をしますが、やはり効率は相当落ちます。お昼は食べないので昼休みは30分に短縮され、その分終業時刻も繰り上げ、従業員を早めに返すように心がけます。午後になると空腹を紛らわすためにおしゃべりの時間が多くなる傾向があるようです。

(続く)