インドネシア語について

2013年3月24日

インドネシア語について

 

随分と時間が空いてしまいました。世界で最も易しい言語のひとつと言われているインドネシア語。でも習得に努めはじめて8か月、なかなか奥深いものがあります。当たり前ですが、どんな言語でも覚えて使えるようになるためには根気と実践が必要ですね。

 

インドネシア語は、インドネシアの公用語ではありますが実はインドネシア固有の言語ではありません。インドネシアには、およそ170の言語があり現在でも使われています。ジャワ島においても、ジャワ語(中央から東部ジャワ島)、マドゥラ語(東部スラバヤ近辺)、スンダ語(西部ジャカルタを含む)が使われています。インドネシア独立の契機となった1928年の第二回青年会議(パンチャチラ)の際に、独立後の言語として現在も45%もの多数の人が母語として使用するジャワ語を採用するのではなく全国広範囲にわたって沿岸部に定住していた(占領していた?)マレー系商人が使用する貿易マレー語(マレー語の一種の方言)を使用することが定められました。

マレー語そのものはオーストロネシア語系の言葉であり、フィリピンのタガログ語も同じ系統に属しています。

注1:沖縄の郷土料理にゴーヤチャンプルがありますが、ゴーヤをチャンプル(混ぜこぜ)する、このチャンプルはマレー語・インドネシア語でも混ぜるという意味です。同じ語源なのでしょう。ちなみに日本語の「ちゃんぽん」も「チャンプル?」同じ語源とか?また、沖縄の飛べない鳥ヤンバルクイナは インドネシア語のYang Baru?(何か新しい) という説も仲間内でありましたが、どうやら山原地区という意味らしいです。

 

もともとマレーシアの礎を築いたとされるマラッカ王朝は、15世紀初頭に国教としてイスラム教を採用したのですが、その後アラビア文字を変形させたジャウィ文字を発展させてきました。ジャワ語もジャウィ文字で表記されます。イギリスによるマレーシア占領の際にジャウィ文字がラテン文字、すなわちアルファベットに置き換えられたのです。

 

インドネシア語の特徴は、アルファベット表記であること、過去形、未来形など時制がない、複数単数の区別がない、格変化もないなど学習者にとっては比較的易しい言語だといえます。単語数も少なく600程度の基本単語を習得すれば、それを並べれば意味は通じ、名詞も動詞として使えるなどとても柔軟です。その代り、基本単語(語幹)に接頭語と接尾語を加えて表現を豊かにしているので、そこは難しいところです。たとえば、bangun (起きる)はmembangunkan(起こす)、membangun(建設する)という風になります。ちゃんと習得しようとすれば派生語を覚えることが必要になるのですが、語幹だけでも通じてしまうのが初級学習者にとっては好いような悪いようなところです。

 

また、kira-kira (おおよそ)、jalan-jalan(散歩する)など同じ単語の繰り返しにより意味を少し変化させます。単独でkira は「考える」、jalan「道」という意味だということはよく知られていて、考えて考えすぎてkira-kira になるのかなとよく話題に上がります。

 

インドネシアの社会は、実は階層社会です。上流階級と下層階級がはっきりと分かれているようです。この辺は、長く暮らさないと判らないかもしれませんが、筆者の印象では、13世紀からイスラム教が浸透してきますが、それ以前のヒンズー教のカースト制度が社会の根底に残っているのではないかと考えています。話はそれてしまいますが、職業にも差別があるようです。だからと言って親の職業を子が承継するということ、つまりカーストによる職業の固定はないと思われます。職業の差別は、学歴の差別、SMP(中学校)、SMA(高校)と大学卒業の差かもしれません。つまり社会の上位者が下位者に対して発する言葉、下位の者が上位者に向かって話す言葉が、近代になってから導入したインドネシア語で伝達するには、インドネシア語自体が比較的簡単な言語であるがゆえに、成熟していないような気がしてなりません。反対に、言葉ではなく空気を読む力が必要になってきます。

注2:バリ島はヒンズーが息づいている島です。当然のようにカーストは現在でもあります。

 

インドネシア語はたくさんの問題を抱えています。

 

例えば、表意文字である漢字を使用した中国語はそもそも一音一字で四声により1600の発音をマスターすれば基本単語はカバーできるはずです(実際、北京官話は3000語が基本単語だといわれています)。一方、インドネシア語の基本単語数は600と言いましたが、手元に英語‐インドネシア語とインドネシア語‐英語辞書があるので見てみます。見出し語の数は圧倒的に英語のほうが多く、インドネシア語の2倍、言い換えればインドネシア語では一語で英語の複数の概念を表わしており、英語の細かい概念を一語で表すのは難しいのではないかと思います。勿論、日本語にはない概念を英語で、反対に英語にはない概念を日本語で表現するのはいつでも難しいので、特段驚くことはないかもしれません。

 

筆者は、普段は契約書の作成とか交渉に従事しているのですが、英文契約とインドネシア語契約を作成するとインドネシア語の方が長くなるのは、インドネシア語だと説明が長くなるからでしょうか?契約書でうまく意味が伝わっているのか常に不安を抱えながら仕事をしています。例えば、当初インドネシア民法典は、19世紀半ばのオランダ民法をそのまま使っていたようで、1990年くらいまではインドネシア語による民法典はなかった筈です。つい最近までの法学部の学生は、当然オランダ語ができなければならずそれだけで人々の尊敬を集めていました。現在は、さすがに法学部の学生はオランダ語を必修で学ぶ必要はなくなったと聞いています。つまりすべての法律はインドネシア語で書かれている筈と思われるのですが、いまだに確認できていません。

 

次に、ジャカルタの学校教育の現場ではジャワ語を教えることがなくなりインドネシア語のみで授業をしていますが、それ以外の地域では第一言語はジャワ語やその地方の言語を、第二言語としてインドネシア語を小学校で教えています。さりながら、インドネシア語が幅を利かす現在の世の中どういう社会的な現象がおきるかというと、子供たちの二つ上の世代、つまり祖父母の世代は地域語で生活していて通常インドネシア語が苦手でうまく話せないことから孫世代との間でコミュニケーションギャップが生じているようです。こういう現象は通常移民の場合一世と三世四世間で多く見かけますが、それと似たようなことが起きています。

 

先ほど、インドネシア語の構造は比較的簡単だと述べましたが、簡単が故に外来語の影響を受けています。影響力の強い順番として

①    英語、②アラビア語、③オランダ語、④ヒンディー語となるようです。

 

英語は国際語ですから、アラビア語はイスラム教を信ずる人たちにとってはコーランから(コーランはアラビア語しか正式には存在せずインドネシア語バージョンはあくまで注釈、お祈りの時もアッラーアクバルなどの定型文句はアラビア語で祈ります)あるいは18世紀19世紀のアラブ商人の影響か、オランダ語は植民地時代の旧宗主国、ヒンディー語はジャワ語の語源から来ています。特に英語の影響は強く、数多くの単語が英語由来として入り込んでいます。例えば、

①    operasi (オペラシ、operation,手術) ② telepon(テレポン、telephone、電話) ③ kalkulator (カルクラトール、calculator、計算機)など

発音されると英語とはすぐにはわかりませんね。

 

定型的なお祈りの言葉はアラビア語と書きましたが、神への感謝、祈りの言葉はインドネシア語で行っています。しかし、神への尊敬の念を表す言葉としてのインドネシア語は、やはり何か足りないのでしょうか、尊敬、謙譲、丁寧を含む複雑な言語体系を持つジャワ語など地域語を使っているようです。裕福で学歴の高い人や家族ほど地域語も堪能でかつ子供たちへの宗教教育も厳格になる傾向があるようです。

 

インドネシア語を介してインドネシア人とマレー人との間では、語源が一緒ですからコミュニケーションできます。90%程度同じ単語を使用し同じ意味を持つといわれています。面白いことにインドネシア人はマレー語を汚い、下品だと言い、同じようにマレー人もインドネシア語は汚いと言っていることです。また、タゴログ語を話すフィリピンの人もかなりの程度インドネシア語を読むことができるようです。3割程度は理解可能と聞いています。

 

ジャカルタには、ASEAN本部がありインドネシアの人たちは、インドネシアがASEANの盟主だと自認しています。この10年くらいの好調な経済により相当プライドをくすぐられているインドネシアの人々は、民族主義、国家主義の台頭もあり将来的にはインドネシア語がASEANの共通言語だといっている人もいます。確かに人口的には2億4000万人を抱え、マレーシアの2800万人とシンガポールのマレー系を加えると他を圧倒していますが、そこまで考えるのは無理がありますね。タイ、ベトナム、ミャンマーの人々にとって共通語として受け入れるのは無理でしょう。

 

また、インドネシア語は単純な故に多言語の影響も強く受け、英語が相当程度入り込んでいることはすでに述べましたが、実態はさらに酷くて崩れてきているといっても過言ではないかもしれません。過激な民族主義者の中には国際化の流れに反して英語教育の廃止を唱える人も出てきています。

最後に、実はマイクロソフトのWordにインドネシア語バージョンはないのです。従って、メールを打つとき、文章をPCで作成するときは、すべてSpelling エラーを示す赤の下線が出てしまいます。時には強制的に英語の単語に置き換えられることもあります。人口も多いのでいい加減インドネシア語バージョンがあってもよさそうですが、ジャカルタ以外はまだPCの普及率が低いのかも知れません。あまり事務所のスタッフは気にしていないようです。

 

言語学も社会学もよく知らない素人が、インドネシア語について書いてしまいました。