ミャンマーに行きました

2012年9月23日

ジャカルタから世界を眺めてみると(その2)

 

86期 加藤 望

 

今年のレバラン休暇(断食明け休暇)を利用して、8月の中旬にジャカルタからバンコク経由ミャンマーのヤンゴンに行き、3泊してきました。

 

ミャンマーは、ご存知のとおりこの数年軍事政権が漸く開放政策に転じ、アウンサンスーチー氏も昨秋軟禁状態から解放され久しぶりの政治活動を再開したところです。果たしてどのような国なのか俄然興味がわき、取得まで一週間も掛かる光ビザを取得して、行って来ました。いきなり、ジャカルタの番外編です。僅か3泊の体験ではありますがミャンマー事情を紹介したいとおもいます。

 

8月の15日にバンコクからタイ航空でミャンマー最大の都市ヤンゴン入りしました。夜の7時に到着の便だったので、乗り継ぎの関係でしょうか、日本から直接こられた方々、その多くはビジネス客でしたが、観光客もちらほらと、加えて韓国からのビジネス客を沢山にのせて、ヤンゴン国際空港に降り立ちました。

 

国際空港は、新しく機能的なようにも見受けられましたが、入国審査に時間が掛かります。一人2分から3分要しますので、Airbus330 で300人程度の乗客が降り立つと、すぐに入国審査で長蛇の列です。特徴的なのは、審査は、ミャンマー人のほうが時間が掛かるということです。理由はわからないのですが、まだ情報統制が残っているのでその関係でしょうか。

 

到着時には、Visa on Arrivalのボックスもあるのですが、誰も並んでいません。書類不備などで入国を拒絶されることもあるからだと聞いています。インドネシアも観光の場合、観光ビザ(US$25)を入国時に取得するのですが(ガルーダ航空で入ると機内で取得可能で、入国審査も済ませることができます)、この段階で拒絶されるなんてことはまずありません。トラブルがあってもお金で解決出来る、これを賄賂というか潤滑剤というか分かりませんが、そういう素地がインドネシアにはあるからでしょう。

ミャンマーの入国審査官は、若い女性が多いという印象です。イスラエルなんかもそうですが、国境における警備訓練を若い女性にさせ、若い女性がゆえに審査の手抜きがなく、かつ重篤な国家の危機に繋がるという考え方を徹底的に教え込むということなのでしょうか。

 

とはいえ30分ほど並んだだけで、無事通過。荷物の検査も外国人に対してはX線検査程度で問題ありませんでした。

 

外にでると、午後7時半。空港全体が小雨に煙っています。こういうときにガイドの手配もしていない一人旅は心細いですね。でも、大丈夫です。ミャンマーは信じられないくらい安全だといわれています。これは、仏教の影響とも軍と警察が強いからとも言われていますが、国民性が根本的に穏やかなのでしょう。

 

通関を済ませて外に出ると案の定、タクシーの客引きが寄ってきます。タクシーはメーターが付いていないので、すべて事前交渉ですし、結構白タクも走っているようです。ホテル名を告げると、10ドルと言われます。

街の中まで6ドルから8ドルが相場だと事前に調べておきましたが(実際、帰りは6ドルでした)、ぼられても大抵数ドルの範囲でたいしたことがないというか、まあいいかという感じで乗り込みました。ひたすらこの街は安全だという情報に祈りながら。

 

この街は、英語が通じるのです。タクシーの運転手以外にもレストランでも基本会話ならコミュニケーション可能です。歴史上英国植民地(インド、バングラデシュと同じく英領インドに組み込まれていました)の期間が60年程度あったからでしょうか、小学生から英語が授業にあるようです。隣国タイとかインドネシアに比べてコミュニケーションは随分と楽ではあります。されどもフィリピンに行けばもっと英語は通じるのでしょう。

 

そうそう、この国は、ドル経済圏です。米ドルを持っていかないと困ります。円もユーロも両替できません。また、クレジットカードは使えません。使えるところは二つのホテルだけだとか。でも、1年前に比べると管理相場制から準変動相場制にこの春移行したせいでしょうか、ドルからチャットへ両替する際に、かつては公定レートと市場レート(いわゆる闇レート)を使いわけていたのが一本化され、実勢レートになったため両替時の不便さは軽減されたと思います。ただし、逆両替(チャットからドルへ)が可能かどうかは確認しませんでした。

 

ここで隣国タイとミャンマーの簡単な比較を挙げておきます。参考までにインドネシアのデータも加えています。

 

ミャンマー タイ (参考)インドネシア
面積 68万平方キロ 51万平方キロ 192万平方キロ
人口 6,250万人 6,600万人 2億4,000万人
一人あたりGDP (2010年、2011年推計) US$ 710 US$ 5,400 US$ 3,500
通貨 チャット(1Kyat=0.08円) バーツ(1Baht =2.5円) ルピア (1Rp=0.0085円)

 

これを眺めると、ミャンマーとタイは似たような国土面積と人口ですね。本来なら識字率が高いミャンマーのほうが経済的な自立は早かったはずです。

 

ミャンマーの一人当たりGDPのUS$ 710は安いですね。最貧民国のひとつといわれるのも仕方ありません。ただ、貨幣経済でない闇経済と呼ばれる部分がどの程度あるのかという点も興味はあります。特に、北部中国国境近辺は中国の元に支配されているとも、元々黄金の三角地帯であり芥子栽培が盛んで、その資金は反政府ゲリラに有力な資金源であったとも聞きます。経済統計の専門家ではないのですが何かの機会に誰かに教えてもらいたいものです。ちなみに日本は現在4万3000ドルでしょうか。これも昨今2017年には韓国に抜かされると言われていますが、どうでしょうか。韓国は、2011年で2万2000ドルだと思います。

 

貧困について少し述べます。確かに、ヤンゴン市内でも停電は頻繁に起こり、夜の街も照明が落とされ薄暗いうえに歩道も車道もぼこぼこで注意して歩かなければなりません。人が住んでいない放棄され廃墟のようなぼろいビルも中心部にはいくつか散見されると同時に、最近建てられた高層ビルも数棟見ることができます。GDP 710ドルだと圧倒的に貧困の匂いが街中から漂ってくるはずなのですが、この町はそれはないですね。確かに貧しいですよ、でも、かえってジャカルタでは、超高層建築群の真下がスラムだったりすることもあり、いやスラムではなく標準的な住居なのかもしれませんが、横断歩道教で暮らしている人、道路で寝そべっている人、物乞いの類が多く、貧富の格差を見せつけられます。ヤンゴンでは、ほとんど物乞いの人を見かけなかったのが意外でした。

 

世界銀行の定義では、農村部と都市部では貧困の定義が違うものの、貧困層とは一般的に一日2ドル未満で生活する人としています。月60ドル、年720ドルの収入が生活の糧すべてということになります。インドネシア政府は、貧困率11%で年々着実に減少していると謳っているようですが、政府の定義は一日1ドル未満であり、仮に世銀の定義と合わせて2ドルとすると貧困層は確実に2倍以上5000万人近くになるのではないかと思われます。人口のおおよそ5分の一が貧困ということになります。

 

私は、残念ながらスマトラ、カリマンタン、スラウェシほか島嶼部には行ったことがないので機会をみつけて訪れて見たいと思っています。

 

さて、話題をミャンマーに戻します。観光についてはシュウェダゴンパゴダをはじめ感動の連続でした。パゴダ(仏教寺院)では老若男女を問わずひたするお祈りをささげている姿が目に焼き付きます。20分でも30分でも一心不乱にお祈りをしています。一体何をお祈りしているのだろうと聞いてみたくなります。ちょうど季節は熱帯モンスーンでインド洋から真っ黒な雨雲が次から次へと押し寄せてきて、滞在期間中ずっと雨降りでした。観光シーズンは1月、2月ということです。ヒマラヤのトレッキングと同じですね。雨雲の行先はヒマラヤなので熱帯モンスーンの影響が弱まる1月、2月あたりがミャンマーのベストの観光シーズンです。

 

ジャカルタが乾期でこの数か月雨が一滴も降らないので、つい傘を忘れてしまい、ホテルの人からも観光シーズンでないこの時期に傘も持たずに一人でやってきたこの日本人はいったい何者だろうと訝しそうに見られていました。観光は、小型の車とドライバーを雇い、ヤンゴン市内と80キロほど離れた古い都のBagoに足を延ばしました。チャーター料は一時間US$7でした。一日7時間ほど借りて約50ドルの支払い。日本円で4,000円感覚です。

 

最後に、通信事情について触れておきます。基本的には国際電話は掛かりません。従い、国際回線を使ったShort Messageも機能しません。インターネットについては、ようやくホテルなどからは繋がるようになりましたが、YahooとかGoogleとかの大手のインターネットサービス会社にしかつながらず、会社のアドレスには繋がりません。おそらく何かあった時に情報統制の意味から大手のプロバイダーとの回線さえ遮断すれば足りるということでしょうか。国内の携帯電話もまだ一台15万円とバカ高く、SIM カードも2万円するようですし、ヤンゴンのSIMカードは国内の他の地域では使えないという、まったくどうしようもない状況です。国際空港でレンタルの携帯電話は借りられるようですが、観光客には不要でしょうか。

 

(つづく)