HSKの試験も終わったので櫻を愛でに旅順口区二〇三高地へ。 日露戦争の激戦地であった
2006年10月、今は亡きおたづさんこと女流監督の槙坪夛鶴子さん、ご子息龍太郎さんと応援団長の堤さんが車椅子を押して登ったことをつい昨日のことのように思い出しつつ満開の染井吉野にみとれ 韓国やカナダから送られてきた黄色い櫻
に暫し時を忘れた。 当時、大連テレビでも老親の介護を取り上げたドラマが評判になっていたので彼女の作品、≪母のいる場所≫を紹介したいと知り合いに話したところ是非インタビューしたいというはこびで来連。いろんな縛りがあってテレビで作品を上映できなかったのは残念だったがともかく彼女の真摯に取り組む姿を知ってもらえたことが最大の喜びであった。忙しい日程を縫って水師営や老人ホーム、そして 二〇三高地へ。 ロシアのトーチカ跡は今では入れなくなっていた。