ロスアンジェルスの四月雨。
低い山々はブラウンでおおわれ緑はくすんでいる。毎年山火事が起きるほどだ。庭に水をまかなければ芝生は2週間程度で枯れてしまう。ハイウエイの両脇の緑もスプリンクラーがあるから生き延びている。それでも12月と1月は雨季と呼ばれて10日程度の雨の日を迎える。それ以外の季節で久しぶりに雨が降ると「It’s Good! We need rain」
と挨拶をかわして傘を持たずに雨にぬれるのを楽しむ人がいる。笑いながら「Stay dry」と声をかける人もいる。
開発中のソフトのテストで若い社員といっしょに集中していたので気付かなかったが、窓の外は四月の雨だ。ブレークを取って外に出てみる。
89年以来、空港の近くのこのツインサンのオフィスで大学時代の恩師といっしょにビデオオンディマンドやインターネットによる株の取引、電子カルテシステムをはじめ、多くの先端ソフトの開発しつづけている。
アザリアとカメリアの花がひさしぶりの雨を吸い込んで元気そうだ。リスがひょっこひょっことコンクリートの上を歩いてこちらを一瞬見るとつぎの瞬間にはアザリアの木陰に走りこんだ。ツインサン社のあるここエルセグンドは、ロス空港のすぐ南にある隠れたハイテク村だ。
NASAの特殊部門があり、軍関係の大手企業のTWA,ゼロックス,リットン,ロッキードなどがオフィスを構えている。制服の将校たちも昼休み時には外に出てくる。
雨の落ちてくる先を見上げるとORACLEという大きなサインがある高層ビルのガラスに青空と動く雲が映っている。私は傘をさして、大型スーパーラルフと同じモールにあるスターバックスに向かった。真っ赤なブーゲンビリアの棚の下に来るころには、「恵みの四月雨」も上がってしまった。雨でぬれた鉄製のいすとテーブルにはブーゲンビリアがはりついている。広い青空には灰色の雲が消えて、ソフトクリームのような雲がぽっかり浮かんでいる。となりのクイズノでいつものベジタリアンサンドイッチをたのんでスターバックスの中に入った。
トールサイズのコーヒーを飲みながら店の中でベジの包みをあけた。店内の8つほどあるテーブルには紙コップを置いてノートブックパソコンをたたいている中年のセールスマン、店内備えつきの新聞を広げているシニアのおばさん、携帯電話でなにやら売り込んでいる白人女性が一人ずつ陣取っている。会社の社員証を首からぶら下げているアジア系の女性の二人連れが泡だったカフェラテの紙カップを手で包み込んで何やら話しこんでいる。コーヒーを一口のんだところで、全席からほぼ同じ距離のところにあるアイランドに歩いていった。アイランドにはミルクと砂糖の包みとかきまぜのスティックと紙ナプキンが置いてある。砂糖は白い包みの白砂糖と茶の包み紙のブラウンシュガーとピンク紙のスイートが選択できる。ハーフ&ハーフとノンファットミルクと全脂肪のミルクの3種類がステンレス製の魔法瓶に入れて置いてある。ここのコーヒーは私には濃いのでハーフ&ハーフとブラウンシュガーを一袋いれてかき混ぜながら席に戻ったとき、入り口のドアを押して、髪全体が茶色いほこりと蜘蛛の巣で荒縄のようになった男が入ってきた。うつろな目で両手をだらんと下げて足元がおぼつかない。
アイランドまでたどり着くとミルクの入った魔法瓶に手を伸ばそうとして躊躇している。
お客の飲み物を作っていた店の若い女の子が、それを見るとすぐに手を伸ばして
「Please」と紙コップを差し出した。
彼は、「Thank you, Mam」というとその紙コップを両手で受け取り
魔法瓶からミルクを半分ほど注ぎ、そのコップを大切に持って店を出ていった。
「Good Job」
とどこからか声が聞こえた。
私はみんなとその瞬間を共有できたこと、それを「よし」と感じたことを上質の健康だと思った。
雨上がりのロスは特に美しい。スモッグが消えて、ダウンタウンの積み木のような高層ビルの向こうには、カリフォルニアで一番高いウィットニー山まで見渡せる。澄み切った空気が充満している三月ならシエラネバダの山々の雪が見えるときもある。
上質の健康とは、人間ドックの検査で示される数字によるものではなく、毎日の生活の中で持続する深いところからくるものだ。一瞬の体験が深いところに沈殿してそこからかすかに発酵して上に昇ってくる香りのようなものである。
発酵して良い香りを発する沈殿した体験をたくさん持つように人は生きているのだ。
上質の健康を手に入れるには、外に出て生身の人と出会い、やさしい心で接することである。ハンディキャップを持つ人、病気で悩んでいる人、仕事や家庭の悩みを抱えている人、経済的に困っている人、忙しすぎる人、何も悩みがないようで自分の生きる目標を失っている人、自分が今おかれている状態を自覚していない人、など、どんな境遇にあっても上質の健康を感じることができるはずなのにそれを見過ごしているのかもしれない。
ロスのダウンタウン、信号待ちで気分が悪くなり座り込んでいると、「May I help you?」と声をかけてくれた人がいる。
「Thanks. I am fine」と強がりを言ってみるが、貧血症状で意識がもうろうとしている。その人は気分がもどるまでそばにいてくれて、「Bye!」と消えていった。
ロスで生活が始めたころは子供がまだ幼くて、熱を出したり、怪我をしたり、友達とけんかをしたり、という小さな問題を解決することで毎日が必死だった。異なる先祖の文化をもつ家族や友人との間の日々のぶつかり合いの中で、ひとりひとりが自分で上質の健康を見つけていかなければならなかった。
日本で生活していれば無意識に行動できることも、ロスでは「なぜ?」という疑問から始めることが多い。社員にイラン系のユダヤ人がいる。ユダヤ人は人種なのか宗教的に定義される民族なのか? 彼の結婚式では、先祖のアブラハムから彼にいたるまでの家系の名前が延々3時間にわたって読み上げられた。先祖と自分がこのような形でつながっている、という自覚を促すことの意味を考えさせられた。医学的、科学的、経済的ではあらわせない別な次元の尺度がそれぞれの文化にあり、その異なる文化を受け継ぐ人同士がいっしょに生活し、仕事をしているロスでのくらしは、私には刺激的であり楽しいものだ。
アザリアは酸性土を好むので粘土質の赤土の地域では育たない。このように言われるが三月にアザリアを20本、酸性土にするための肥料もいっしょに買って庭に植えてみた。アザリアも2Mほどの背丈の細い桜も花をたくさんつけて元気がいい。植物は与えられた土地で生きるより仕方がないので自分からその土地に合わせようとする。日本ではなくロスで生活することを自分で選択した私はこの庭の桜よりももっと自由に生き、多くのことを体験できるはずだ。
未知な人との出会いはすばらしい。
上質の健康を生きている人との出会いはもっとすばらしい。
朝6時にYMCAにでかけた。大きなジムと25M、10レーンのプールがある。ロッカー室はこの時間帯でもすでにたくさんのシニアでいっぱいだ。初めて見る老人、ポールと隣になった。「How are you, BOY? Are you Japanese?」彼から見ると私でも少年だ。年を聞くと私の父と同じ90歳だ。近くのケアハウスに住む仲間と朝早くから泳ぎに来ているそうだ。彼の姿と動作を見ていると生きてきた歴史を語っている。きちんとポマードで整髪された頭の毛は少ないが身だしなみは清潔だ。服も下着もきちんとたたんでロッカーにしまっている。使い古されたタオルを大切そうに持ってシャワー室にゆっくり向かった。後姿は日本にいる父とだぶった。