還暦に振り返り起つ

2009年3月26日

タイからサワディクラップ~JICAシニア海外ボランティアだより【第1話】
北野高校のOG/OBの皆様へ、夏が終わらない暑い国タイからのレポートです。

マングローブの植樹祭
▲マングローブの植樹祭
2008年10月
シリントーン王女国際環境公園

タイは、3月から5月が一番暑く夏で、この季節、暑期は、「ルドゥ ローン」と言います。 妻、紀子は2009年2月25日~3月9日日本に一時帰国しましたが、0℃で雪が関東にも降ったようでした。ちょうどタイは、35℃と真夏でした。 同期のモンゴル派遣のボランティアからは、メールで「こちらはマイナス30℃です。モンゴルとタイでは、60℃も気温が違うのですね」と、便りを頂きまし た。 人間にとって地球は広く、気候は様々です。 これ以上地球温暖化で、気候変動など起こったら、自然のバランスが崩れて、洪水、旱魃が多発すると考えられます。 自然を大切にして、生きている植物、動物を愛しましょう。 私は北野を1967年卒業の79期で、卒業の時は英語の片山先生が担任でした。 阪大を受験するときは、「大丈夫か、神大にしないか」と言われた覚えがあります。特に79期は、浪人が沢山出ました。 私の場合、阪急の塚口に実家があり、実家から通学出来ること、数学、物理がちょっと難しい感じで、反面化学は、実験があり結構分かり易かったこと、でも分 析はどうも、臭い等が出て、苦手で、結局阪大基礎工学部化学工学科を受験しました。

西日本大学サイクリングラリー
▲西日本大学サイクリングラリー
1968年夏 鹿児島大学にて開催

入学し4月にサークル活動の紹介を受けました。 体格からボート部に誘われましたが、北野で2年の夏休み前まで、バスケットボール部に所属し、運動部の厳しさは分かっていましたので、大学ではマイペース で生活したく考え、断りました。 バスケ部を退部してからは、塚口から北野に自転車で30分ほど通学し、旅行が好きでしたので、1966年で、入学の一年前に発足していたサイクリング同好 会に入部しました。 二回生の夏から学生運動が始まり、教養課程から学部への試験は実施されず、全員学部に進学できましたが、10か月ほど授業が無く石橋校舎に来ては昼休み同 好会の仲間と校舎の周りを走り、昼飯を食ってだべり、自宅に帰って夕方家庭教師をし、夏休み、春休みには、サイクリングで旅行をしていました。 三回生の10月頃から授業は中ノ島校舎で始まりましたが、四回年の夏に大学院を受け不合格になりました。 幸い1971年は就職の需要が多く、三菱重工(株)に就職できました。 謝恩会では、主任教授より、環境関係の研究を会社ですると言うと、「これからは、化学工学も環境関係の仕事が沢山できる」と、励ましの言葉を頂きました。 会社では研究所勤務の希望を出し広島研究所に配属され、その後37.5年間の会社生活を送りました。 研究23年、開発設計10年、企画3年、営業1.5年で、主に排煙脱硫装置とごみ焼却炉の開発の仕事でした。 「何をやってきたか?」という疑問が、50歳になった1998年頃から湧いてきました。 少し時間に余裕ができて、昔を振り返る時間を持てるのかと思いました。

学位授与式
▲博士の学位授与式
妻と細見教授・工藤助教授と記念写真

その後、恩師に巡り合い52歳で2001年から働きながら、東京農工大学大学院博士課程後期に入学しました。 この間、次男が慶応大学の文学部でしたので、妻に「うちは二人大学生を抱えて、家計も大変だ」と、呟かせました。 55歳で2004年3月に工学博士を授与されました。 しかし55歳で研究をさせてくれる大学は有りませんでした。 そこで、あと4年6カ月間、60歳で定年退職するまでに、何が本当にやりたいかを考え、そのやりたいことを定年後しようと思い、前向きな考えを持ちまし た。 会社でプラント開発が主な仕事で、開発・改良した排煙脱硫装置を数多く設計製作しました。 建設後20年も経ち、ほとんどスクラップアンドビルトになっています。 開発に携わりましたごみ焼却炉、リサイクル装置は、最近まで動いていました。 会社でグループの一員として働き、会社の利益に貢献できましたが、私が製作した機械が世の中で余り役に立っていないのは、エンジニヤーとして寂しいです。 そこで第二の人生でやりがいを感じられるのは、直接に人の役に立てるボランティアではないかと考えました。 昔から海外旅行が好きだったので、海外で国際協力出来るJICAシニア海外ボランテイアを選びました。 それは還暦1年4ヶ月前の58歳8ヵ月の2006年3月の時でした。 是非皆さんも、下段に示すJICAシニア海外ボランティアのホームページを見てください。 JICA シニア海外ボランティア http://www.jica.go.jp/activities/sv/

還暦祝い1

妻は私が50歳になる頃から、定年後は海外ロングステイが希望でした。 私も定年後海外に住むことは、冒険心をかきたてられました。 私が55歳の2004年に妻の友達の親戚がJICAシニア海外ボランティアに行っていると、聞いて来ました。 ホームページを読むと、69歳まで出来ていろいろな職種があり、60歳以上の方も活躍されていることを知りました。

還暦祝い2
▲二本松の訓練所での還暦祝い

そこで55歳の2004年からは春、秋の募集の説明会を聞きに行き、各国の要望書を読みました。 安全でのんびり暮らせる国がよいと、タイ、マレーシア辺りを中心に探しました。 そこで、2007年秋にタイ・ラチャプリでの廃棄物管理支援に応募しました。 合格して3カ月間二本松の訓練所で主にタイ語の訓練を受けました。 ちょうど還暦を迎え、右の写真のように、わざわざバースデイケーキを30分歩いて街まで買いに行ってくれて、同じ班の皆から誕生会をやって頂きました。

通勤
▲通勤姿

その後2008年9月にバンコックに来ました。 1週間目は、挨拶、手続き、歓迎会、安全教育等を受け2週目から任地ラチャプリに来ています。 下痢で病院にも行きましたが、4~5日で治りました。 3週間目にはアパートを見つけて引っ越し、4週目には管轄の近隣5県の廃棄物処分場を視察して、5週目からはカウンターパートと今後2年間の計画を話し 合っています。 また、職場には職場で借りたマウンテンバイクで通っています。 週末は近くの学校のプールで泳いで、楽しんでいます。 タイ人は礼儀正しく、付き合って楽しいですが、タイ語は大変難しいです。


▲近くの学校のプール

▲処分場を見学した帰りの風景

私のメールアドレスは次の通りです。JICAシニア海外ボランティアに興味ある人は、メールください。 米田健一 E-mail: kenichi_yoneda2000@yahoo.co.jp 妻がブログを書き始めましたので、見てください。 まるこめ夫人タイ日記 http://thaidesutai.jugem.jp/ 今月号は、JICAシニア海外ボランティアになった動機と2008年10月上旬までの経緯を書きました。 来月号は、10月中旬からのタイでの生活を中心に、続きを書きます。 では楽しみにしてください。