ウィーンの散歩道 ~Mit der Musik【第10話】

2008年8月23日


プレイエル博物館


▲13区の丘からの風景

残暑お見舞い申し上げます。
新しい13区のアパートでの生活も1ヶ月が過ぎ、落ち着いてきました。爽やかな快晴が続いた先週末は、家から少し上がったところにある丘に登ってのんびり散歩をしました。

今日は、そんな穏やかな週末に突如舞い込んできたコンサートについてお話したいと思います。
2週間前の週末、家で食事をしている最中に携帯の着信音が鳴りました。「次の金曜日にTulln(トゥルン:ウィーンから車で1時間ほどのドナウ本流の 側の小さな町)でコンサートがあるけれど、予定していたピアニストがキャンセルになったので、代わりに弾いてくれないか」という内容でした。いわゆる代役 です。しかも自分のレパートリーではなく、指定された作曲家を弾いてくださいとのこと。本番まで1週間。正直、間に合うかどうか分からなかったのですがと りあえず引き受けることに決め、次の日に楽譜をもらって準備をはじめたのでした。


▲コンサート終了後

指定された作曲家はオーストリア出身のPleyel(プレイエル)、会場はTullnの Pleyel Museum(プレイエル博物館)でした。会場に着くまで、プレイエルがショパンをはじめ多くの芸術家が愛した、フランスのプレイエルというピアノ会社の 創立者だとは全く知らず、博物館の展示で初めて知り驚きました。
ピアノをしている人なら誰でもプレイエル=フランスというイメージがあるのですが、実はオーストリアのTulln出身のピアニスト、作曲家で後にフランスに渡ってピアノ製作会社の創立者になったのでした。
その歴史、事実を守ろうといている熱心な団体がオーストリアにいて、定期的に博物館でコンサートを開いたり館長の講義があったりするようで、今 回のコンサートもその一環のものでした。 館長をはじめ団体の方々は、「このような行事を続けない限り、彼がオーストリア人という事実はいずれなくなって しまう」という思いから、このように熱心に活動をされているそうです。
楽曲自体は単純な、よく言えばシンプルな旋律、フレージング、転調で、弾く方としては少しきつい一面もありました。 ですが別の見方をすると、演奏家の務めというのは、聴いている人に何かしらのインスピレーションを与えたり、色々感じる時間を過ごしてもらうことでもあり ます。そのような思いを抱きながら、弾き慣れないハンマークラヴィーアで退屈にならないよう弾ききりました。

終ったあとは地元のワインを生産している家のホイリゲに行ってみんなで食事をして楽しんで帰ってきました。


▲ワイン生産の畑