第21話 新しい扉 

2012年4月23日

ペルチャッハの朝の風景    

皆様、大変ご無沙汰しておりました。

約1年間連載を中断してしまっていましたが、心機一転してまた少しずつウィーンの様子をお伝えできればと思い再開させて頂く事になりました。ウィーンという街に今いる事を人生の中で貴重に思います。今後ともよろしくお付き合いください。

私はこの夏に日本に一時帰国をして、今後の事について色々考えていました。
一人で静かに時間をかけて想いを巡らせたり、家族や周りの人の意見を聞いてみたり。私が心から尊敬している実家の川向えに住んでいらっしゃる石川博士(日本最高の望遠鏡を次々と製作されている北野の大先輩)には、何度もお会いして大切な事をたくさん教えていただきました。それで結局のところ、もう少しだけ様子を見ていこうと思い日本をあとにウィーンに戻ってきたのでした。

ウィーンには8月に戻ってきたので、私の周りの人達はみんな避暑に行ったり、日本に帰っていたりで誰もいなく、私も特に夏休みの予定もなかったので、一人でブラームスが夏の避暑に訪れていたペルチャッハという湖畔の小さな街に行ってきました。ブラームスはこの地で交響曲第2番やヴァイオリン協奏曲、ピアノラプソディー等を作曲しています。部屋で読書をし、湖畔の周りをジョギングして湖で泳いでという生活を3日間ほどしました。朝も夕方も夜も湖の水の中で自然を感じながら、同時に自分の存在というか生きている事でこれから何が起こるんだろうという希望みたいなものを感じた事は本当に不思議な体験でした。

 

 

ウィーンに戻ってからはフレッシュな気持ちでブラームスのピアノソナタの練習に励んでいました。そしてこれから新しい事を始められればと思っていたので、ニーダーオーストリア州立の音楽学校でピアノ科教師の募集があったので応募し試験を受けました。書類審査の通った8人がそれぞれ公開で2人の生徒を20分教え、管楽器の伴奏を10分し、質疑応答が20分というものでした。大きな声ではっきりドイツ語を話す事だけ試みて、後は運に任せていました。色々タイミングも良かったのかその日のうちに連絡があり採用。この音楽学校で働く事になりました。自分の演奏活動はこれからも続けていきますが、子供を教える事を通して音楽の意味とか、こちらの文化の元になっているものとか、子供のエネルギーとかそういったものを感じたり考えることにつながればと思っています。9月から教え始めたばかりで慣れない事も分からない事もたくさんありますが、新しい扉が少し開けたと思って頑張っていこうと思います。

Kirchbergのピアノ科がある校舎かわいい生徒たち