先頃、栗本駿さんという方が突然来訪されまして、この方は旧制五高(現、熊本大学)ご出身の方で、娘さんお2人お孫さんお1人を北野生に育てられた方ですが、旧制五高の集まりである東京五高会が発行された「武夫原頭に草萌えて」という本を携えて来られました。
本校が北野中学の時代に、何人ものすぐれた卒業生が第五高等学校に入学された。優れた先輩のことをこの書を通じて知ってもらいたい。そういう趣旨で来校されたわけでございます。そして北野中学出身で52期(昭和14年3月卒業)の森一郎氏について話して頂きました。この森一郎氏についてはこの「武夫原頭に草萌えて」の中にも書かれておりますが、吉田充の「戦艦大和の最期」、同じく「戦中派の死生感」という書物の中に北野中学出身で熊本五高に行かれた森一郎氏のことが書かれてあります。
それを少しだけ紹介させて頂きますと、「森一郎は五高から東大へ行き東大の学徒出陣組の代表として壮行会で答辞を読んだ。酒が強くきっぷが良く水泳の達人であった。艦が沈没するまで遮蔽物のない吹きさらしの防空指揮所で艦長附として健闘した。声をからして兵達を激励するのを私自身繰り返し聞いている。最後に海中に飛び込み立ち泳ぎをしながら指揮を続けた。目撃者はたくさんいる。それなのに生還しなかったのは、おそらく機銃弾によってその前後に致命傷を負ったとしか思えない。」
この様に戦艦大和の艦長附の森一郎のことを書いておられます。もし、この森一郎が健在でありましたら、戦後の日本の中でどういう風にいかばかりの大きな活躍をされ、そして現代生きておられたらここにお見えになっておられたのではないかと思う訳でございます。
この様な人物を育てた、北野のことを思いますと改めて襟を正される思いでございます。
さて、本校の現状についてでございますが、改築工事は着々と進行しております。
昭和6年に建てられました現在の校舎が取り壊されるのは誠に惜しい限りであります。
本日出席されております同窓会副会長の山本次郎さんが、大阪府建築部発行の「大阪府立北野高等学校 旧校舎の調査記録」という冊子の中で「昭和20年の夜2回昼2回の空襲の中で死守した。」と書かれている現在の校舎がなくなりますのは、誠に残念でありますけれども、何しろもう70年近くの長い年数を経ていますので、いろんな検査をしましたがどうにももたないだろうという事でまことに残念なことだとは思っています。
そして、歴代校長の写真を掲額しております講堂でございますが、入学式、卒業式あるいは昭和24年の4月16日に行われました第2回選抜高校野球大会優勝祝賀会が行われました講堂が来年の4月に最後の入学式を行った後5月に解体に入るという事であります。
先般5月21日に先生といっしょに校舎の新築工事の進捗状況を見せて頂きました。六稜WEBの谷さんのご協力でOHPを用意しております。
--六稜WEB画面の新築状況を報告写真OHPを使って順次説明。(略)
出来るだけ旧校舎の面影を残す様にいろんな所で配慮してもらっています。 今の予定ですと来年2000年の1月半ばに1期工事が終わります。4月から約2年間の予定で2期工事が始ります。そして環境整備工事に約1年間予定しています。2002年平成14年の12月に工事が終わり、2003年平成15年の3月に引き渡しされる予定です。
--クラブの近況報告。野球部、硬式テニス部、山岳部、囲碁将棋部の近況。(略)
--進学の状況(略)
それから、大阪では少子化に伴う教育改革プログラムが始っています。今年度から10年計画で府立高校の特色づくり・再編整備が始ります。府立高校156校のうち全日制普通科117校が、その実施により、それぞれ特色を持った学校に生まれ変わる予定です。
本校はこれまで、将来の社会を支える優秀な人材を育成する、そういうことを社会的使命としてやって参りました。これからもいよいよアカデミックな校風を特色として21世紀を支える人材を育てて行くということを考えて社会に貢献して参りたいと思います。
どうか皆様方のご声援を宜しくお願い致します。