六稜お宝探検隊が行く(1)
六島昭治さん(57期)の巻
木製の銃剣を持つ六島さん。
「教練の時間には、こいつで『エイ、ヤー』
やらされたものです」
あるいは(保管所にある)公文書、古い記録のこと。
インターネットの爆発的な普及を追い風に最近「デジタル・アーカイヴ」とか「デジタル・ミュージアム」という言葉を耳にする機会が多くなりました。 お役所の後ろ楯、ハード主導の推進機構には…若干「ハイビジョンの二の舞い?」を杞憂させる胡散臭さが伴いますが、距離の壁を超越でき、実空間の制約にとらわれずに、膨大な情報を発信できる…という特性は、われわれ「同窓会」のような非営利組織が運営しようと目論む史料館には最適の特性であるといえます。
実はすでに、六稜WEB(ホームページ)がその役割の一部を実験的に担ってきていると言えます。 全国に散在する会員が、無理に大阪を訪れなくてもその恩恵に浴することができ、収蔵庫の面積に制約を受けることもなく、かといって無尽蔵な資料の中から必要なものだけを検索して取り出すことができ、必要に応じて再編集も可能…。
とはいうものの、博物学の基本は「現物」にあります。 明治政府の学制発布に起源を有するわれら北野の活きた歴史資料は、わが国の中等教育史を研究するうえで、第一級の郷土史料となること間違いありません。
このコーナーでは、そんな「われわれの共有文化財」とも言うべき…貴重な六稜のお宝を探して、今日は東に明日は西に、どこにでも出没する探検隊のレポートをお届けして参りたいと思います。
「案外…こんなもの保存してないんだね。同期の会でも持っていくと、みんな『珍しい!』と言って懐かしがるんだ」。 六島さんの物持ちの良さに加えて、戦火を逃れたという歴史的幸運は大きい。
「何しろ『欲しがりません勝つまでは』の時代でしたからね。何でも大事に使ったものですよ」。 万年筆で記されたノートには、隅から隅までびっしりと書き込みがありました。 特筆すべきはどのノートの表紙にも六稜の星が印刷されていたこと。 学校単位でオリジナルを製造する業者があったのでしょう。当時の産業・物流の規模が伺えます。
「置いておいても…もう、散逸するばかりだし、来世に持って行っても仕方ないでしょ(笑)。 どうぞ、同窓会館で活用してください。それまでに目録を整備しておきますよ」。 みかん箱に2箱一杯の六稜のお宝が今、こうして新六稜会館の竣工を静かに待っています。