十三界隈みてある記
【十三今昔編】
reporter:壽榮松正信(74期)
想い出深い北野高校の昭和の名建築も、ついに平成の新校舎へ生まれ変わるべく工事が始まっています。
8月に運動場の北側にあるテニスコート、野球ののバックネットなどが完全になくなり、年内には基礎工事が一段落つくのだとか。
ここ十三界隈でも、あちらこちらに世代交代した建物がたくさんあります。 皆さんが在籍しておられた頃にあった、あの建物や施設はどうなったでしょうか。 今回は、役目を終えて無くなった施設や、新しくなった建物など『十三のいま・むかし』を探訪してみました。
岡崎牧場(昭和9年頃)
ホテルプラザオーサカ
ここ十三界隈でも、あちらこちらに世代交代した建物がたくさんあります。 皆さんが在籍しておられた頃にあった、あの建物や施設はどうなったでしょうか。 今回は、役目を終えて無くなった施設や、新しくなった建物など『十三のいま・むかし』を探訪してみました。
岡崎牧場(昭和9年頃)
ホテルプラザオーサカ
【岡崎牧場】
かつて北野の傍には『岡崎牧場』という牛乳工場がありました。 ちょうど今『ホテルプラザオーサカ』のある辺りですね。 しかし、都市化の波には勝てず、大阪万博の頃(昭和45年)に郊外に移転したそうです。 明治から大正にかけて、この辺り(淀川区・旧東淀川区)では農業がかなり盛んであったようです。 岡崎牧場は明治30年頃から十三で牧場を経営していました。 昭和30年頃でも35頭もの牛がいたそうです。 今も『岡崎乳業』の宅配牛乳は根強い人気があり、十三近辺のお宅に早朝配達されています。 六稜生の方々の中にも小さいときから世話になった想い出を持っておられる方も多いことでしょう。 現在は摂津市鳥飼に移転しています。【映画全盛の時代】
戦後、昭和20年代から30年代にかけて庶民の娯楽の代表として映画全盛の時期がありました。 その頃を知る人は入場料が55円、3本立て興業など、懐かしく思い出されるでしょう。 全国各地にたくさんの映画館が建てられましたが、十三には主に日本映画専門館がたくさんありました。 梅田やナンバには『封切り』専門館、十三はその次の公開、三国や淡路、神崎川などにある映画館は、十三より遅れて公開され、順に安く見られたものです。現在も残っている『十三東映』
(18歳未満だと入りづらい)
※下記は当時、十三にあった映画館の一覧です。
館名 | 設立 | 配給社 |
OK映画劇場 | 昭和21年12月1日 | 日活・新東宝 |
光洋劇場 | 昭和21年7月11日 | 東宝 |
十三劇場 | 昭和21年3月 | 松竹 |
十三大映朝日座 | 昭和21年10月15日 | 大映 |
十三銀映劇場 | 昭和23年10月1日 | 東映 |
十三アカデミー劇場 | 昭和30年8月11日 | 洋画(シネスコ) |
若草劇場 | 昭和30年12月31日 | 洋画各社 |
弥生座 | 設立不明 | 洋画 |
大本寅次郎
タイガー計算器【跡地】
向いのマンションにも同じデザイン
【タイガー計算機】
機械式計算機のルーツは、パスカルが最初だといわれています。 ライプニッツやバロウズなどの外国製が先鞭を付けましたが、国産では1923年に大本寅次郎が『寅印計算機』を丸善のアイデアル計算機に次いで開発したのです。今、電子計算機(コンピュータ)が一世を風靡していますが、20年ほど前までは、この手動計算機が主に土木現場でよく使われていたのです。
ヘンミの計算尺をアナログ計算器の代表とすれば、 タイガー計算器はデジタル計算機の代表でした。
今風に言えば『10進演算手動回転式デジタル計算機』とでも言いましょうか…官庁を中心に数年間の受注残を受けるなど、それは神話的なシロモノでした。 1968(昭和43)年頃がピークで年間4万台ほどが出荷されたそうです。その頃の値段が20桁の性能で35,000円だったそうです。
「昔は良かった」という言葉は年寄りの決まり文句ですが、妙に人の心に馴染む機械でした。 基本的な機能はほとんど変わらず、いつまでも同じスタイルを踏襲し、数回のモデルチェンジで色はカラフルになりましたが、今の計算機と違って一度購入すれば一生使えるものだったのです。70期代前後の方々には学生時代にこの計算器のお世話になった方も多いことでしょう。 黒のオリジナルが最も懐かしいですね。
実は、この計算器を生産していた会社『タイガー計算器』が十三バイパスの終点の所にあったのです。 今はパチンコ屋、阪急配送センター、マンションなどが林立する場所です。 工場が近年まで残存していたのですが、今年に入って遂にそれも無くなりました。 現在はマンションの一室に『タイガー計算器』の会社事務所があるのみです。
阪急配送センター
分りますか?
この塔屋…実は『タイガー計算器』のフォルムをかたどっているんですね。この会社の製品に対する深い思い入れが感じられます。
対面にある『タイガーマンション』(名前からしてタイガー計算器の関連会社が所有しているものと思われますが…)こちらの屋上にも同じデザインが見られます。
側面から並べて見てみましょう。 ちなみに、これらの建物は阪急電鉄神戸線の車窓からも宝塚線の車窓からも見えます。十三の駅を出てすぐですので、一度気を付けて見てください。
ちょっとキッチュ!!
西海岸・シリコンバレーも結構ですが、世界の先端技術の源流に、この十三があったことを…皆さん覚えておいて欲しいですね。
昭和30年頃
平成10年4月
現在