十三界隈みてある記
【十三公園編】
reporter:壽榮松正信(74期)北野高校の北門の向いは十三公園。登下校や文化祭の終わった後など、六稜生にとって想い出多いのではないでしょうか。 このあたりは、野菜畑が青々と続いた中に鏡池を囲んで堀の森が楠木の老大木を茂らせていたそうです(昔のこの辺りは「掘」と呼ばれていました)。 この公園は昭和12年4月1日に普通公園として開園しました。面積は9714坪。戦争で大きく壊れましたが、戦後復興区画整理による工事により、野球場及び児童プールを備えている、淀川区でも1番の規模になっています(今は児童プールが無くなっています)
【北野高校前】
淀川通り(阪急十三駅から淀川沿いに走っているバス通り)の北野高校前駅には、西淀川区や東淀川区から通学する生徒も多いようです。以前は淀川北岸線と呼ばれていました。柴島浄水場から西淀川区の大和田辺りまでをつなぐ幅員25mの幹線道路です。 バス停からは、北門を通して体育館が見えます。
【十三公園入り口】
丁度、北門の真ん前。十三公園の正門があります。ちょっとはずれた目立たないところにこの石碑がありますが気を付けてみなければわかりませんよ。
【ライオンズの泉】
中にはいると一番目立つところがこの噴水です。「ライオンズの泉」と名付けられたものです。夏になれば子供達の水遊びの場になるのです。
【猿と木蓮】
噴水から振り返ると「ミード教会」(キリスト教会や福祉専門学校)を望むところに猿の像、木蓮などが見えます。 ミード教会は、明治23年から大正15年まで、我が国の女子教育並びに布教事業に貢献したバプテスト宣教師ラビニヤ・ミード女史により設立されたものです。
【正門】
十三公園の正門です。数年前から改良工事が行われ、周りの垣根などが取り払われ、見通しが良くなりました。このため、非常に明るくなりました。防犯の上でも良くなったと思います。
【淀川通り】
現在「淀川通り」と呼ばれるこの道は、「淀川北岸線」と呼ばれていました。 戦後計画されて西淀川の福町から長柄橋までの幹線道路として、混雑しています。西淀川の国道2号線から、京都の方へのバイパスとして活躍しています。
【水防の碑】
淀川は、明治18年、未曾有の氾濫があり大損害を与えました。大阪市街の著名の橋31橋が相次いで流失する有様でした。しかも沿岸の田畑一帯に冠水してその損害も著しいものがあったそうです。そこで明治政府は31年から43年まで淀川改良工事を行いました。十三一帯では旧中津川(旧名長柄川)を拡張し新淀川として再生されたのです。 碑に刻まれている 災害は 忘れた頃に やってくる は私たちがともすれば忘れがちな災害に対する警告です。
【中津第三尋常小学校碑】(※注)
碑文の全文を紹介しましょう
中津第三尋常小学校の創立は大正14年3月1日である。※62期の山本和市さんより「中津第二尋常小学校とあるのは中津第三尋常小学校の誤りです」とのご指摘をいただきました(Feb.21,2001)。慎んでお詫び申し上げますとともに、この場を借りて御礼申し上げます【編】。
当初の校舎は現在のハイム北野西付近に位置した。
昭和3年春
校舎は現北野高校と新北野第二コーポにかかる地に新築移転した。
木造二階造りの建築は当時大阪市木造校舎の規範と称せられた。
昭和16年春校名は成小路国民学校に変更され
昭和20年6月空襲のため全焼して
昭和21年4月神津校に統合されている。
この間の卒業生はおよそ二千六百名
教職員は百余名を数える
あゝ 時移り
いま その母校をしのぶ物は何一つない
都会に育ったわれわれにとって幼い日の母校は心のふるさとである。
中三校創立五十年に際し同窓生教職員相集い
想い出深いここミードの森に建立したのがこの記念碑である
昭和五十年四月二十日
【シャガの群生】
公園の正門を挟んで、「シャガ」の群生が迎えてくれます。近くによっても、遠くから見ても可愛いものです。歩道橋の向こうに北野高校北門があります。
【花の公園】
この公園のテーマ「花」の碑です。横に刻まれている「もくれん」の花が後方に見えます。毎年、春と秋にはこの地区の園芸好きの方が「植木市」を楽しみに待っておられます。今年は4 月1日から15日まで行われます。草花の苗・盆栽・庭木などを安く販売していますよ。「花の公園」のテーマに沿った行事ですね。
【老若の公園】
小さい子供から、お年寄りまでみんなの公園です。丁度車椅子のご夫婦が鳩に餌をやっておられました。生けとし生きるもの、全てが安息する都会の中のオアシスです。北野生も勉強の合間に、ここで疲れをいやしています。
【富岡さんの太陽時計塔】
十三の三大名物といえば、藤田まことの『十三のネーチャン』、鯉の滝のぼりで有名な『料亭三笠』、それに「ナポレオンの帽子」のアルサロ『大統領』です。あの、将軍ナポレオンが本当に冠っていたという帽子を、当時の金額で3,000万円という大金で競り落とし、非常に話題をさらったのが『大統領』の当主、富岡さんです。その人の一周忌にこの公園に寄附されたのがこの時計だそうです。
【北野高校北門】
今日も、北門からは北野生が行き来しています。この十三公園が、いつまでも安息の場でありますように。