新制高等学校、男女共学に

昭和23(1948)年4月1日

shinsei1.jpg 1948年4月1日より新制高等学校制度が発足。北野は大手前との交流による男女共学が実施された。

大手前から北野へやってきた女子生徒は「校舎は汚れており、窓ガラスは割れ放題。高い窓の廊下はまるで監獄のように思えた。」との感想を述べている。 一方、男子は「女子は馬鹿である。その馬鹿な女子とわれわれ男子を一緒にしたのは、日本男子のレベルを下げるためのアメリカの陰謀だ」という者もあり、スタート時点では男女共学はぎくしゃくしたものであったようだ。 第2回選抜高校野球の優勝という出来事が、このぎくしゃくした関係の修復に、おおいに効果を上げたのである。
shinsei2.jpg この年の11月に林武雄校長が着任し、以後13年4ヶ月に渡り、校長としての任務をまっとうされるが、まさに北野にとっては大変革の時期であった。 終戦後間なしの日本にはアメリカによる「民主主義」の嵐が吹き荒れ、PTA・クラブ・自治会などの「民主的」組織に改編されたのもこの時期であり、現在の高等学校制度の基礎はこの時期に作り上げられたのである。