欧学校、開校

明治6(1873)年4月20日

ougaku1.jpg 1873年(明治6年)4月20日、大阪府は難波東本願寺掛所(難波御堂別院)に欧学校を設立した。 この欧学校は僅か10日後の5月2日に「集成学校」と改称された。 当時は、小学校という制度も生まれたばかりであった。 従って、小学校卒業生がまだ出ていないので、在学中の優秀な者を進学させるということになっていた。 そのため入学資格制限を10歳と定めていた。
集成学校は「外国語学ヲ主ト」した学校であり、教科書は洋書、日常会話も英語を使えという学校であった。 修業年限は2年間で、「開業以来入校生徒数総員51 名、内男39名、女12名」という記録が残っている。
1877年2月に、西郷隆盛が鹿児島で蜂起した西南戦争で、難波御堂に征討総督仮本営が設置されることになった。 集成学校は難波御堂を明け渡すことになり小学校に移転するが、数ヶ月後には中之島の新校舎に師範学校・進級学校と共に移転し、その2ヶ月後には進級学校と合併して大阪府第一番中学校へと変わっていくのである。