speech:秋田典昭
(大阪府立北野高等学校校長、六稜同窓会名誉会長)
さて、諸君、卒業おめでとう。こうして諸君が全体で集まるのも、そうして私が諸君に話をするのも、いよいよこれが最後になった。諸君は今どのような感慨を持って、この式に臨んでいるだろうか。
諸君は、希望に胸膨らませて、白い六稜花が咲き乱れる通用門からグランド・校舎に続く道を歩いた入学の時のことを思い出せるであろうか。入学のときの自分の体が今思うといかに脆弱であったか。入学のときの自分の考えがいかに幼稚であったことか。入学のときには難しいと考えていた教科の問題が今はいかにやさしいもののように感じられることか。そう感じられるのは、諸君が北野というるつぼの中で知らず知らずのうちに鍛えられ、肉体的にも精神的にも大きく成長したからである。だが、そうした入学の時と成長した今と比較して感じられる違いは重要な問題ではない。重要な問題は、諸君が北野の生徒として卒業したかどうかにある。府立156校、全国5490校余りある高等学校の中で、まぎれもない北野の生徒として卒業できたか否かである。
それでは、北野の生徒として卒業するとはどういうことか。それは、本校独自の校風の中で醸成された六稜精神を身につけて卒業するということである。全国の高等学校の中で本校が燦と輝いているのは、この精神が先輩から後輩へと連綿と引き継がれてきたからにほかならない。それは、教室に染み込み、グランドに染み込み、校舎に、図書館に、プールに体育館に、この講堂に染み込み、そうして諸君の体に染み込んでいった。
その六稜精神とは何か。私はこの精神の本質の一つは孤高にあると思う。飽くまで高きを求め、百万人といえども我往かんという精神である。
孤高の「孤」とは、自ら求めての「孤」ではなく、高きを求めてその結果としての「孤」である。どんな所においても、どんな場面においても、誰かが見ていようといまいと、報酬が高かろうが安かろうが、どこまでも自分の心の求めに応じて、高きを求めて生きていこうとする精神である。自分に妥協しない精神である。自分をごまかさない、自分の心に真っ正直に生きて行こうとする精神である。そうした生き方は、他の人に比べて、成果をあげるまで時間がかかるかもしれない、要領が悪いとそしられるかもしれない。だが、諸君が三年間学び承け継いだ六稜精神とはそういうものである。自分の考えを持たないで、安易に群れたり、付和雷同という居心地のいい逃げ場に安住したりしない。そうした安物の妥協を決然と拒否する、誇り高い実に孤独な精神である。
この精神は、厄介なことに、様々な誤解を生みやすい精神でもある。いわく傲岸・不遜、あるいは生意気だなどなど。もちろん、賢明な諸君には言うまでもないが、傲岸・不遜・生意気などと孤高とは違う。本当の孤高の精神の持ち主は、その孤独の深さにより、ほかの人の悲しみや喜びが痛いほど理解できる人間でもある。
そういう点でこの誇り高い孤独な精神は、同時に熱い血に溢れた精神でもある。私は、諸君がいかに友情に厚いか、友人のためには自分を犠牲にしても厭わない精神の持ち主であるかを知っている。諸君の中のある者は、父を支え、あるいは母を支え、弟や妹たちの生活のために心を配り、三年間粘り強く苦しい戦いをしてきた。またある者は、病との実に壮絶な戦いを続けてきた。そうした者にとって、諸君の熱い友情はどれだけ大きな支えとなったか。絶望との孤独な闘いの中で、諸君の暖かい心は、生きることへの勇気をいかに奮い立たせ続けることができたか。そうした諸君の熱い心に、私は心からの敬意を払いたい。
昨年は本校大正6年3月卒業、第30期の佐伯祐三の生誕百年にあたっていた。それを記念して、全国各地でその展覧会が開かれ、本校所蔵のあの素晴らしい作品、マント・ラ・ジョリも昨年4月から11月まで全国を旅してきた。また、たまたま5年に1回開かれる卒業生作品展の創立125周年記念展が昨年12月に本校図書館で開催されたので、あのマント・ラ・ジョリに心打たれた諸君も多くあったことであろう。佐伯祐三が、病をおして、1927年8月に再びパリに渡ったのはなぜか。彼は、結局1年後の1928年8月16日にパリ郊外の病院メゾン・デ・サンテで30歳の短い生涯を終えることになるのであるが、自分の命をかけてまで彼をパリに渡らせたものは何か。
佐伯祐三と同期30期で、兵庫県知事も務めた坂本勝の著書『佐伯祐三』をひもとくと、その扉に「水ゴリをしてもやりぬく、きっと俺はやりぬく。やりぬかねばおくものか」と書かれた佐伯祐三の自筆メモが写真版で紹介されている。私はここにも、自分の命をかけた孤高の精神を見るのである。そして同時に、『佐伯祐三』という書物を通して、坂本氏をはじめとする佐伯祐三にかかわった多くの友人たちの熱い心があったことを知るのである。
さて、先日の報道によれば、今年は南極オゾンホールの穴が塞がったと推定される時期が、12月15,6日頃であったと思われるという。これまでは、ほとんどの年で12月の上旬で塞がっていたうえに、オゾン層破壊をくい止めるために、世界的な規模で対策がとられていた。その今、なお環境破壊が確実に進んでいることを示すこの事実は我々を暗然とさせる。向井千秋さんの2回にわたる宇宙飛行が象徴しているように、われわれは既にグローバルな目を持たされてしまっている。そうしたグローバルな目から見れば、このオゾン層の破壊進行の事実は、我々人類の前に横たわる暗い運命を予見させる。
諸君もよく知っているように、地球の歴史を一日24時間の時間軸の上に置くと、人類が出現してから今日までの100万年の歴史は23時59分41秒から後のわずか19秒に過ぎないと言われている。ところが、そのわずか19秒のうちの更に1秒の何百分の一かにあたる時間の中で人口問題・食料問題・エネルギー問題・地球環境問題という実に解決の容易でない四つの大問題が重なった形で、その姿を現し、人類に今その解決を迫っている。
例えば、人口問題では、1800年の産業革命のころには、10億人程度であった人口が、1950年には25億人に、1999年には60億人を突破し、そして2050年には107億人になるだろうと予想されている。そうした人口増に対して人類は、これまで機械力などを使った耕地面積の拡大、肥料・防虫剤などによる単位面積当たりの収量の増加というグリーン革命で乗り切ってきた。しかし、それも今や限界にきていると言われている。
従来の問題は、一個人、一地域、あるいはせいぜい一国の問題として把握され、そういう単位における責任として解決することが求められた。しかし、今やあらゆる問題が地球規模の問題へと収斂していきつつある。こうした人口問題を始め、食料問題・エネルギー問題・地球環境問題という地球規模の問題に対して我々はどう対処したらいいのか。
国際連合教育科学文化機関憲章いわゆるユネスコ憲章の前文には、人は戦争を初めとする非道さに立ち向かうために、「良心のとりで」を築かなければならないと述べてあり、さらに「平和は失われないためには、人類の知的及び精神的連帯のうえに築かれなければならない」と述べられている。これは、平和を守るために人類は何をなさねばならないかを述べたものであるが、それはそのまま地球を守るために人類は何をなさねばならないかを述べたものと言い換えても良いであろう。今こそ我々は、地球を守るために「良心のとりで」を築き、「人類の知的及び精神的連帯」を図らなければならない。
ヘーゲルは『法の哲学』の序文の終わり近くで、「ミネルヴァの梟は、黄昏がはじまるのを待って飛びはじめる」と述べている。今、世界は暗い夜の闇の中に沈もうとしている。千万人といえども我往かんという孤高の精神と熱い心のかたまりである六稜の諸君が、今後さらに深く学び、良心のとりでの上に世界の人々と連帯して、これから来ようとしている闇の世界を、明るい希望の見える新しい夜明けの世紀に変えてくれることを心から期待したい。
平成11年3月1日