六稜NEWS-990301/第51回卒業式、厳かに

    祝辞

    speech:稲畑勝雄(56期、六稜同窓会会長)

      56期の稲畑でございます。六稜同窓会を代表して、今日卒業式を迎えられた皆さんに先ず心からお祝いを申し上げます。と同時に、若さに溢れる大勢の方々を六稜同窓会の新しいメンバーとしてお迎えすることを喜び、大いに歓迎の意を表する次第であります。

      さて、皆さんはいま過ぎ去った三年間のいろいろの思い出を胸に、期待と不安の入り混じる未来へ向かって一歩を踏み出されるわけでありますが、ここで北野の教育の源流・・と申しますか、北野での三年間を通して与えられたものとは一体何であったのかについて少し考えてみたいと思います。
      もちろん、時代により、人によって受け止め方は一律ではありませんが、私なりに考えていることを申しますと、それが大阪という町の伝統的な気風である、人間的な自由を尊ぶ精神ではなかったか、と思います。
      ご承知の通り、大阪は江戸時代を通して大名の直接支配を受けない商人・町人の町として、また「天下の台所」と呼ばれる流通の中心地として栄えてきました。江戸や金沢・熊本などの著名な城下町には藩の経営する武士の子弟のための学校があったのに対して、大阪にはそのような「上からの」教育はなかった代わりに大商人がスボンサ一となって作られた町人による・町人のための学校が存在しました。


      出典●
      http://www.osaka-u.ac.jp/english/history.html  

      その代表が1724年に創設され明治初年まで140年間の歴史を持った「懐徳堂」で、山片幡桃、中井竹山・履軒兄弟、富永仲基など民間出身の学者が排出し、江戸の朱子学とはひと味違う、合理主義の精神に基づいた学問が商家で働く人たちを対象に形成され、受け継がれていったのであります。
      このほか、大阪には緒方洪庵の適塾や石田梅巌を祖とする石門心学の学校など幾つも私学が生まれ、それによってほかの町にない「市民」の意識が培われ、自分の自由を主張する代わりに他人の自由も尊重する、お互いに個性・人格を重んじるという考え方が根付いていったと言えるでしょう。この精神は明治以後も損なわれることなく大阪人の考え方の基本となり、北野の校風の底流ともなって、私が在籍したあの戦争中においても途切れずに続いていたことを今あらためて思い出す次第であります。
      このような「市民」意識の現れとして、大阪には中之島の公会堂を始め、大阪城天守閣、東洋陶磁美術館など、個人や民間の寄贈による公共的な施設がたくさんありますが、そのひとつに、六稜同窓会が母校創立100周年記念として実施した、大阪城公園の梅林があり、今は市民の憩いの場として広く親しまれていることはご承知の通りであります。昨年の同窓会総会は母校創立125周年を祝って盛大に催され、大先輩にあたる森繁久彌さんも文化勲章を胸に参加してくださいましたが、同窓会というのは、いろんな個性を持った多様な人材を抱えて、お互いの親睦・交流を計ると同時に、平素はそれぞれ自分の仕事を通して国家・社会のために精進し、時には団結して大阪というコミュニティのためにも何等かの奉仕をする、緩やかなまとまり・・イデオロギーに支配されない人間の集団である、と言っていいと思います。

      率直に申し上げて、いま皆さんに同窓会の話を申し上げてもなかなかピンとこない・・というのが正直なところだろうと思います。また私自身のことを申し上げますが、当時は旧制中学ですから、まだ旧制高校と大学という6年間の学生生活が待ち受けていますし、おまけに戦争中であったために、現実には学徒動員や学徒出陣があって、工場や軍隊など学校以外の体験もさせられた時代でありまして、クラス会として定期的に集まるようになったのは、卒業後20年以上経ったときでありました。
      戦争と戦後の混乱の中でバラバラになった名簿を整理するのが先ず大仕事で、学年幹事の方にはたいへんなご苦労をかけたわけでありますが、同窓会の有難味が分かってくるのは、実際には2〜30年かかるといった方がいいのかも知れません。もちろん、私としてはもっと早く解って頂きたいのでありまして、ここで同窓会の最近の動きについて少し触れたいと存じます。

      昨年から工事の始まった新校舎は、グラウンド整備と植栽を含めて平成15年に完成するものと予想されておりますが、それと平行して同窓会としては「同窓会館」の建設という大プロジェクトへの取り組みを控えております。
      現在、そのための各種委員会が発足して具体的な対応を開始しておりますが、新しい同窓会館が会員の親睦・交流の場であると同時に、明治以来の貴重な資料・文献など歴史的遺産の保存・展示に果たす役割を考えますと、何とかいいものを残したいという思いを強く覚えているところであります。
      設計は新校舎と同じ85期の竹山聖さんで、斬新なデザインの図面ができあがっておりますが、建設にはやはり「先立つもの」が必要であります。既に天王寺、三国ケ丘などが立派な会館を建設した前例もあり、負けないように頑張りたいと思いますので、具体的な計画が出来上がりました節には、よろしく御協力を頂きますよう、お願い申しあげる次第であります。しかし、決して大きな期待をしているわけではありません。

      そのほか同窓会ではインターネットにホームページを開設して、PRと会員相互の情報交換に務めたり、五年毎の名簿の発行、在校生の国際交流への助成など幅広い活動を続けておりますが、何と申しましても、先ほども触れた通り、基本になるのは各学年クラス会の団結と親睦を維持することだろうと思います。クラス会というヨコの単位がタテに繋がった細長い組織をわれわれ執行部がお世話をしているわけでありまして、各クラス会の活性化がなければ全体としての動きも鈍くなります。そして、時移り変わり、世の中の変化と共に絶えず変化していくのが同窓会…一本の川の流れの如きもの、あるいは変化せざるを得ないのが同窓会というものの性格・宿命ではないか…と思います。

      鴨長明の「方丈記」の冒頭に「行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」という一節があります。方丈記という書物は余りにも無常観が強すぎる感じがしますが、この書き出しの一行は、時間という見えないものを目に見える形で示している点で心に残ります。同窓会という「人の集まり」と「時の流れ」との関係もこのようなもので、時間の経過と共にやがて皆さんが同窓会の中堅となられる日も決してそんなに遠いことではありません。
      以上、川の流れにたとえて申しましたが・・同窓会の結束のためにも、いま皆さんが手にしている「若さ」という宝をどうか大事に扱って頂きたい・・というのが締め括りとして最後に強調しておきたいことであります。

      「二十歳代というのは人生全体の酒の味が決まるはげしい発酵の時期である」という言葉があります。また、毒舌家のバーナード・ショウは「若さというのは若い奴にやるのは勿体無いようなものだ」と書いています。どうか、若さを大切にされ、皆さんの青春が充実した、実りの多いものとなりますことを心から期待し、併せてご健康を切に祈念申し上げまして、私のご挨拶といたします。どうもご静聴有り難うございました。


      Last Update : Mar.18,1999