大阪府立北野高等学校校長
秋田典昭
さて、ユネスコが設置した「21世紀教育国際委員会」が出した報告書が昨年日本で出版された。世界14地域の委員が21世紀の教育や学習はどうあるべきかを検討し、まとめた報告書である。その表題は『学習:秘められた宝』(Learning:The Treasure Within)という示唆に富んだ題名となっている。この表題の由来は委員長のジャック・ドゴール氏によると、ラ・フォンテーヌの寓話をもじったもので、学習によって初めて内に隠されている才能の宝が発見できるということからつけられたものだそうである。
この報告書の中には学習の四本柱が述べられている。それらは、「知ること」「為すこと」「共に生きること」、そして「人として生きること」の四つである。この四番目の「人として生きること」は、その前の三つの柱の仕上げというか、それらが高度に総合化された結果として生まれてくるものだと述べてある。学習というものの行き着くところ、学習の到達点と言ってもいいかも知れない。この「人として生きることを学ぶ」は、英文では「Learning to be」となっているが、この「人として生きる」という「to be」とは本校においては、北野生としては、具体的にはどのようなものであろうかと考えていて、私はこれこそ六稜精神そのものではないかと思い至ったのである。
六稜精神とは何か。それについてはいろんな考えがあるようであるが、最も端的に述べておられるのは諸君の大先輩である35期の篠原安夫氏である。氏は大正10年(1921)の校内誌に「六稜精神は、他校の追随を許さない北野の力であり、栄えある魂、貴重なる精神で、それは先輩の努力の結晶であり、我々在校生、すべての人格が発露した貴いもので、各人決してこれを汚し傷つけてはならない」と述べておられる。そして、具体的には先輩、後輩の暖かい心の通い合い。師と生徒との親しみのこもった礼。全体で行動する時に、最初の合図だけで事足りるという各自の全体への気配りなどを挙げ、こうした温情、友誼、規律に、加えて克己心、忍耐力を有し、そして、何事においても Do the best でやり抜かねぱおかぬという精神であると。これが77年前に諸君の先輩が述べている六稜精神である。
私はこのことを知って、伝統の持つ素晴らしさを改めて痛感した。それは、77年前に、その精神が発露していると述べられていると同じ情景を、私は現に本校で見ることができるからである。そして、この六稜精神は三学年の中でも、やはりここにいる諸君が群を抜いてよく具現していたと思う。
「人としてどう生きるか」に含まれるあらゆる面を兼ね備え、しかも若者らしい覇気に満ちたこの六稜精神とは、なんと素晴らしい精神ではないか。こういう精神が何十年という歳月を越えて今も滔々と受け継がれ、流れ続けている学校がどこにあるだろうか。先輩から後輩へと、言葉ではなく体を通して伝えられ、今の北野の諸君の具体的な行動となって現れている。
篠原先輩は、Do the best の例として、野球部N君の例を挙げている。「N君は、捕手として、彼の最善を最もよくつとめた人であった。試合の時に、練習の時に、チップであろうがファウルであろうが何でもかんでも猛烈に、つかもうと努力した。できるだけやれ。彼は此の主義で出来るだけ走って球を追った。それが果たして効を奏したか否かはおのずから別問題であるが、要するに彼は、最善を尽くすのにかけては第一人者であった」と語っている。このN君は、今私の目の前にいる諸君の姿ではないか。
否応無く人問を鍛えてくれる厳しく貧しい時代とは違って、豊かさの故に易きに流れる現代の風潮の中で、諸君は実に果敢に自分との戦いに挑戦した。野球部に限らない。あの夏の日、あの冬の日、諸君はどれだけ厳しい練習に自らチャレンジしたか。諸君は実に懸命に、汗を流し、走り、自己との厳しい戦いに耐えたことか。そして、ベストを尽くした。結果としては、勝負という厳しい現実の前で涙を流したとしても、諸君は素晴らしい青春を持てたと思う。後輩に対する暖かい思いやりは、諸君への敬慕となって現れている。部活動だけではない。ある者は病気と闘い、あるものは弟や妹のために生活と闘い、それぞれに六稜精神を発揮しベストを尽くして、今日の日を迎えてくれた。そうした諸君に私は、心からの敬意を捧げたいと思う。
例えば、現在の私たちの生活のほとんどを支えている石油・天然ガスはあと大体50年で枯渇すると言われている。発展途上国で、現在の先進国と同じレベルにまで消費量が増大すれば、その期問はもっと短くなるであろう。石油・天然ガスが枯渇すれば、夢のような快適な生活はおろか、電気はしばしば停電し、飲み水の確保すら難しくなることが予想される。代替エネルギーとしてソーラーシステムを採用するとしたら、九州全体、あるいは近畿地方全体ぐらいの広さに隙間なく太陽電池を埋め尽くさなければならないと言われているが、それは不可能なことである。
こういう人類未知の苦難の時代を乗り切るには、どうすればいいのか。その解決方法は、これまでの時代の技術や知識をはるかに超えている。諸君の英知が今こそ求められている。こういう苦難の時代においても生き方としては、なにか特別な生き方があるのではなく、やはりそのベースは「人として生きる」、すなわち六稜精神を発揮しつつ最善を尽くして生きることにあるであろう。
昭和6年に建築され、昭和の名建築と名を轟かせた本校の校舎の改築も、いよいよ本年4月から始まる予定である。誠に名残惜しいことである。諸君が古き世界に安住しないように、諸君の母校も諸君の出発と時を同じくして、新しい歴史を刻むこととなった。しかし、建物がどんなに新しいものになろうとも、その底を流れ続ける魂は、決して変わることはないであろう。
諸君。奢ることなく、挫けることなく、本校で培った六稜精神、そしてそのシンボルとしての六稜の星のしるしを誇り高く燦然と胸に輝かせながら、たくましく生きていってほしい。そして、地球的相互依存の時代の中で、諸君の恵まれた力を存分に発揮して、諸君が人類の危機を救ってくれる一人となってくれることを確信して式辞としたい。