speech:秋田典昭
(大阪府立北野高等学校校長、六稜同窓会名誉会長)
次に、保護者の皆様、本日は誠におめでとうございます。長い間、今日ある日を心に思い描きながら、ご苦労されてきた甲斐が有って、ここにこうしてそのご苦労が大きく実を結びました。疾風怒涛の思春期の中でも、高校の三年間は本人もさることながら、親にとっても実に重い三年間であります。親で有る限り親としての勤めがいつ終わるということは有りませんが、高校を卒業するということは一人立をする、親から自立するということで、親子の関係においては大きな区切り、節目であろうと思います。そういう意味で、ここまで、お子様をこんなにも素晴らしく育てられた皆様方に限りない敬意を表しますとともに、心からのお喜びを申し上げたいと思います。
さて、卒業生諸君、卒業おめでとう。
今、諸君と共に、諸君の北野での三年間を静かに振り返ってみれば、そこにはうれしかったことや楽しかったこと、辛かったことなどを織り込んだ様々なドラマがあった。辛かったことの方が多かったと感じている者もいるであろう。辛さは、自分の小さな殻を破って大きく成長しようとする時に生まれる。三年間の生活が、諸君にとって厳しければ厳しかったほど、辛ければ辛いものであったほど、諸君が大きく成長した証しである。そうした諸君にとって忘れることのできないのは、共に競うことにより自分を高きに導き、また挫折する痛みや辛さを支えてくれたかけがえのない友人たちであろう。
北野の名校長と謳われ、その在任期間も極めて長かった第13代林武雄校長は、昭和28年発行の六稜新聞に「明治初年教育令により生まれた本校の一貫して変わらなかった教育方針は『秀才による紳士道の養成』−英国的教育理念であり、事にあたっては一意錬成主義、鍛練主義であり秀才学校の世評に対し名実共に具った自信であり、自矜と自重、質実剛健と称し苦を楽となす自己満足であった」と述べておられる。
本校は、歴代生徒諸君の固い信念と強い意志による厳しい刻苦勉励、そこから生まれる大きな自信とによって創造された長い伝統を有している。そういう本校を卒業し、これからさらに自分を大きく乗り越えるための一層の「苦」しみを林校長の言われる「楽」しみとなすためには何が必要であろうか。
それには諸君のめざしているものが、諸君一個の要求を超えた、広く人類や社会に貢献するためのものでなければならない。
この新しい21世紀には、20世紀の課題がそっくりそのまま持ち込まれてしまった。即ち、エネルギー問題や環境問題、南北の較差の問題、食糧問題、人口問題等の大きな問題が未解決のまま新しい世紀に持ち込まれてしまったのである。緊急にそうした課題のソフトランディングの手を打たない限り、たちまち地球は危機に瀕してしまうと言われている。
私は何年か前、アメリカ・アリゾナ州カイバブ高原に生息するクロオジカの頭数推移の調査報告の解説を読み愕然としたことがある。カイバブ高原では狩猟の対象としてシカの頭数を人為的に増やすことが計画され、シカを捕食とするコヨーテやピューマが20年間で合計5154頭除去された。その結果、1905年頃には四千頭前後であったクロオジカは、20年間で十万頭にまで増えた。ところが、増え過ぎたシカのために、草地は荒廃し飢餓が訪れ病気がシカを襲った。シカは次々に倒れ一冬で全体の40%が死ぬという事態も起こり、シカは急速にその数を減じ、1939年には約一万頭にまで減った。
この頭数の変化は、次のように説明されている。もともとカイバブ高原が支え得るシカの頭数は一万頭前後であった。ところが、捕食圧の下にあったために、頭数は四千頭と抑えられていた。そこで、容量一万頭との差にあたる六千頭分が年々高原に何らかの形で蓄積されてきた。この蓄積が捕食圧がなくなった後の急速なシカの数の増加を支えていたが、蓄積を消費し尽くしたシカは、その後その頭数を急速に減じたというのである。
そのクロオジカの悲惨な運命を示す一枚の折れ線グラフの前半の増加のカーブは、化石燃料と医学の進歩によって1750年の7億5千万人台から一気に急激な増加を遂げ、現在60億人を突破し、2050年には89億人まで増加すると見込まれている人類の人口増加のカーブそのままである。そして、この爆発する人口増加は、同時に様々な営みの中で過去数十億年にわたる太陽エネルギーの蓄積を猛烈な勢いで消費し続けている。
私は今年の元旦、諸君の先輩の一人から一通の賀状を受け取った。そこには次のように書いてあった。「現在体調も万全です。今年こそは、世界に役立つ人間への第一歩を踏み出したいと思います」と。彼は、なぜこのような葉書を私にくれたのか。なぜ「世界に役立つ人間への第一歩を踏み出したい」と決意したのか。
彼は北野在学中、部活動も精一杯やった。自治会の役員もした。皆勤で勉学にもおおいに打ち込んだ。そして、いよいよ本格的な勉学に入った3年生の秋、彼は突然の病魔に襲われたのである。彼は自分の過酷な運命に何度か枕を濡らしたに違いない。しかし、彼は私達に弱音を漏らすことは決してなかった。そして、数度に及ぶ大手術に耐え、苦しいリハビリもこなし、今諸君と同じように大学受験の勉学に打ち込んでいる。驚嘆すべき彼の強さである。 私は後になって、彼が入院して以来、センター試験の前日も含め、毎日交替で北野の生徒が彼の病室を訪ね続けていたということを聞いた。その看護婦さんの話によると、訪ねてきた彼らは、彼の気分が良い時は心から彼と談笑し、彼の気分がすぐれないときはベッドの横で静かに本を広げていたという。私は、北野生の素晴らしさに言葉が出なかった。
彼が生きることにおいて驚嘆すべき粘り強さを発揮できたのも、彼が自分以外の誰かのために生きようと決心したのもこういう支えが有ったからである。こういう北野生の中に流れる熱い心があったからである。そして同時に、彼を支え彼に生きる勇気を与えていた者自身も、彼の懸命に生きる姿を見ることによって自分と闘う勇気を与えられ、励まされていたに違いない。
今年1月のIPCCの発表によると、100年後には平均気温が最大で5.8度上昇し、海面上昇も最大で88センチになるという。しかも、太陽光・風力・水素へのエネルギーシフトへの道は遥かに遠い。
人類は知によって科学を発達させ、医学を発達させ、化石燃料の巧みな活用により、人類の現在を築いた。しかし、その知は、同時にごく近い未来に破滅を孕んでいる危うい知に他ならなかった。こうした現在の人類の知をコントロールできるものは、また人類の知にほかならない。そして、この、制御のための人類の厳しい戦いを可能にする原動力は、諸君の心の中に、北野生の心の中に脈々と流れている人間への深い敬意を伴った熱い心に他ならない。
我々は、諸君が、三年間六稜の星の下で培ってきた学ぶ厳しさへの誇りとその人間への熱い心で、新しい時代のリーダーとして、迫り来る人類の危機を乗り越えてくれることを確信している。
平成13年2月28日