六稜NEWS-000229/第52回卒業式、最後の講堂で…

    古株先生に聞く…
    講堂に寄せる想い

    reporter:谷 卓司(98期)



      須原浩之先生(保健体育科、担任3年9組)

      同じ卒業式でも私が新人だった頃は、まだ送辞とか答辞とかやっていました。今の形式になったのは、昭和44年…泉先生(後に校長)が指導部長をなさっていた頃からです。ちょうど学生運動の後です。私も改めて3年間、担任を持ちましたが…この講堂が無くなるのと同時に、来年、私もこの学校を去ります。その意味では卒業生を送りだす以上に感無量ですね。


      三橋賢市先生(数学科、担任3年5組)

      2000年ミレニアムとか講堂最後という「節目」を…日本人は大好きな民族だからね。私もそのうちの一人だけど(笑)。個人的なことを言えば、北野に勤めてから20数年…年令のちょうど半分をここで過ごしたということもあって、ひとしお感慨深いなと思いますよ。たまたまそういう年に卒業生を送りだす運命に巡り合えたというのも、これも何かの因果かと幸せに感じています。

      重厚な講堂が無くなることについては「佳き北野のひとつの象徴がこれで終わるのかな」と思いますけれど、北野そのものが終わるわけじゃないですし。重厚さというのは何も「器」だけではなくて「人」だと思うんですよね。いくら器が重厚であっても集まっている面々が軽薄であったら今のような北野にはなってなかったでしょう。その意味では「もっと頑張れ」と普段から激励していますけれど、「北野生」はそもそも重厚な人たちの集まりなのではないかと思います。
      これからは明るさが強調されるだろうけども、私はそんな重厚さが新しい北野に連綿と受け継がれていくことを望んでいる一人です。


    Last Update : Mar.1,2000