speech:内藤寿一(61期、六稜同窓会常任理事)
今、皆さんは三年間の高校生活の思い出に浸っておられるでしょうか。それとも、新しい人生への第一歩に武者ぶるいしておられるでしょうか。
皆さんの在籍中の生活は、運動場は使えない、新校舎も間に合わなかった等々…必ずしも良いことづくめではなかったかと思います。しかし、時の経過というものが、同じ体験をしてきたという共通項を強い絆に変えて行ってくれるものなのです。
「自由と主体性の尊重」を基本理念とした教育、それを同じ北野で学んだということが経糸となって、私共と若い皆さんが年代の差を超え、126年の歴史を共に語り合える仲間になってゆくのです。
私事になりますが、61期の私は、北野に6年間ご厄介になりました。
戦時体制下の旧制北野中学校では、真冬でも教室・運動場では裸足でした。学校の授業を満足に受けたのは1年半足らずで、学徒動員と称して、日本アルミの工場で飛行機の部品づくりに精を出していました。
校庭はたこつぼ式防空壕と、食糧増産のための南瓜畑、芋畑と化してしまいました。
戦災・終戦 そして6・3・3制への移行による新制北野高校としての再出発・男女共学・ライスカレーならぬポテトカレーで空腹をごまかしての甲子園出場と確かに変化に富んでいましたが、いい環境だった と云えるかどうかは判りません。
こんにちまで齢を重ね、社会でいろんな集団に接して来、成功も挫折も経験してきた今頃になって 母校北野のよさがじわっと判ってきた というのが実感であります。
森が雨水を蓄え、泉となって湧き出るように、北野での学校生活が、人脈をはぐくみ、知識を共有し、生きる叡知となって滲みだしてくる・・そういう風に思えるのです。
三年間で終わらせたくないこの出会い、この体験、それを横に拡げ、縦につないでゆく。そういった役割を同窓会が果たし合いと思っております。
新校舎の完成に合わせて、新六稜会館建設というミレニアム・プランを発表しました。
平成14年には、正門西側、プールサイドに、卵をスパッと切ったような会館の雄姿が見られる筈です。
この会館に、どういう機能を持たせるか。
皆さんはこれに参画し、発言し、これを利用する自由を既に手に入れられたのです。
ボランティアで作り上げてきた、インターネットの六稜ホームページは、そのレベルの高さで有識者の間で評判になっています。
「伝統ある北野なればこそ、常に新しいものにチャレンジして前進する」を合い言葉として励んでゆきましょう。
先ず行動です。頭デッカチの人間になってほしくはありません。
年会費も払って下さい。
「若いということは、やり直しがきくということだ」
私が北野時代の恩師から言われた言葉を晴れの巣立ちの日の餞として、ご挨拶を終わります。