speech:秋田典昭
(大阪府立北野高等学校校長、六稜同窓会名誉会長)
保護者の皆様にお喜び申し上げます。本日は誠におめでとうございます。長い間のご苦労がこのように立派に大きな実を結ばれたことに対して心からのお祝いを申し上げますとともに、その永年のご苦労に対して心からの敬意を表します。また、本校教育に対して三年間深いご理解と暖かいご声援をいただきましたことを改めてお礼申し上げます。
卒業生諸君、卒業おめでとう。諸君が水平線の彼方のまぶしいばかりの未来に向けて、今こうして新しい旅立ちをしたことを心から祝いたい。
さて、明治17年から明治25年にかけて在任した矢部善蔵校長は、二代目の校長であったが、六稜の校章の制定を始め本校の体制・校風の基礎を作り上げた実質上の初代校長であった。
この矢部校長が強調したことに、「この上なく誠実なこと」という意味の『至誠』と『自由』という二つのことがあった。この『至誠』と『自由』は、校訓として謳われてはいないが、本校の伝統として今も脈々と流れ続けているものである。
改めて言うまでもないが、諸君はこの講堂での最後の記念すべき卒業生となる。選抜高校野球大会で全国優勝に沸き立つ祝賀会を始め、数々の栄光に彩られたこの講堂。そして、昭和6年から現在までの70年近い歳月の中で、この校舎から二万九千人余の有為の人材が世に送り出された。諸君は、その最後の一員である。
私は矢部校長の『至誠』という言葉を思うとき、この講堂を初めとした諸君の学び舎を命をかけて守らんとして、殉難された二人の先輩のことを思い出さずにはいられない。
昭和20年6月7日と6月15日の大阪大空襲は熾烈を極めた。火の手は六稜会館や剣道場・食堂などを焼き払い、本館も類焼する所を、当時の在校生が文字通り死守された。その結果、本館は奇跡的に残り、諸君を育てる揺籃としての役目を果たすことができた。しかし、そのことによって、中島要昌(なかじまとしまさ)・池田彰宏(いけだあきひろ)の両君がその犠牲となられた。私は、千頁近くもある分厚い六稜同窓会名簿を繰って、「62期、他界」の項目の所に、このお二人の名前を見るたびに、胸の内が熱くなるのを抑えることができない。
あれから50年余り。日本は随分と豊かになった。その豊かな現在の世の中の最大の不幸は、豊かさが「公」よりも「私」の優先をもたらしたところにある。社会の貧しさはもちろん誰しも望むところではない。しかし、今の社会の豊かさは、ますます「私」の跳梁跋扈を許しているように思えてならない。肥え太った「私」は、声高に自己を主張し、お互いを傷つけ合うことしかしない。豊かな時代であると言われている現代は、その豊かさとは裏腹に、傲慢で狭小な自己が絶えずぶつかり合うという実に貧しい生活となっているのではないか。このことを考えると、本校にこの上ないまごころという意味の『至誠』が伝統として引き継がれ、今もなお、現在の諸君の中に生きているのを発見するのは実にうれしいことである。
諸君の中には、事情あって支えを必要とする友を、黙々と支え続け、今日の日を迎えた者もいる。ある諸君は、三年間公式戦で一度もベンチ入りできなかったにもかかわらず、少しもくさらず縁の下の力持ちとなって、ひたすらチームのために尽くした者がいる。また、ある者は、寒風の吹きすさぶ中に立ち尽くし、練習に励むチームメイトを暖かく支え続けた。そして、ある者は、文化祭、体育大会で、クラスのために自分の有りったけの力を出した。そして、ある者は、学校の花壇を花で飾り、また、ある者は黙々と清掃に努めた。
こうしてみると、友人のために、クラスやクラブ、学校のために、どんなに多くの諸君が『至誠』を貫いてきたことか。そういう諸君が本校の卒業生であることを私は大きな誇りに思わずにはいられない。
次に、もう一つの校風、『自由』という校風について考えてみたい。生き方に係わる自由の他に、北野においては、学ぶことにおける自由も、校風として受け継がれている。学ぶことにおける自由とはどういうことか。
1989年3月、フライシュマン(Martin Flieschmann)とポンス(B.Stanley Pons)は、試験管の中の水酸化リチウムを含む重水に対して、パラジウムの陰極と白金の陽極に電圧をかけて電気分解を行ったところ、常温で核融合が生じたと報告した。それまで、核融合反応は超高温でなければ起こらないとされてきたから、常温下で、しかも試験管という簡単な装置で核融合が可能だというニュースは、世界に大変な衝撃を与えた。研究者の中でも、超高温核融合の研究者の中に、この常温核融合の理論を異常なまでに激しく攻撃する者がいた。それは、追試によって得られたデータが常温核融合を支持する一貫したものではなかったという理由だけではない。それは、常温核融合という考え方が、従来の核融合のパラダイム、科学における知的枠組みの変換のみならず、物理学全体を覆す知的枠組みの変革を要求したからであると言われている。
学問における自由とは何か。客観的と見られるデータも、実はある仮説の下で、客観性を保っているに過ぎない場合が有る。それは、仮説に適合しないデータは、補正され、加筆され、あるいは無視されるという操作が無意識に行われている場合が有るからである。諸君の多くの者は、これから本格的な学問に取り組むことになる。その場合、これまでの仮説に、それは仮説ではなく真理という形を取っていると思われるが、そうした従来の考え方に捕らわれるのではなく、大胆に自由に新しい仮説への冒険をしてほしい。そして、そういう冒険は、恐らく、天動説から地動説へのパラダイムの変換が行われた時のように、諸君を称賛の渦に巻き込むよりも、むしろ、耐え難いほどの非難と中傷と糾弾の渦の中に巻き込むことになるであろう。なぜならそれは、多くの研究者が営々と積み上げてきた研究をすべて否定することになるからである。
北野の伝統、校風としての自由は、こうした学問における考え方の自由においても滔々と流れているのである。
現在、人類にとって、最も大きな問題となっているのは、地球規模の環境破壊である。人間の止まるところを知らない営みは、無限であるはずの地球の生態系が、実は有限な、閉じた世界であるということを思い知らせるレベルにまで至ってしまった。地球温暖化をはじめ、日々の生活を支えている具体的な生活の場のさまざまなところから環境異変が報告されるようになり、それは、潜在的な不安となって、我々の生活を脅かし始めている。『至誠』と『自由』。そうした校風を三年間の北野生活で身に染み込ませた六稜の諸君が、閉塞的状況に有るこの地球の現状を、近い将来、新しい希望の世界へと変えてくれることを確信して、諸君の新しい出発を祝いたい。
平成12年2月29日