一 思い出づれば夏の頃
近畿浪速に誉れある
北野校庭に催せる
北中、市岡、天中の二 ボールマッチのそのおりに
いとも名誉の誇りある
チャンピオンマークは市岡に
あわれ再び奪われぬ三 むかし越王勾践は
受けし恥辱を雪がんと
月や花にも目をくれず
薪に伏して胆を嘗む
「応援部創設の思い出」より
橋本薫(37期)
あの頃の思い出の一つに野球部に縁の深い悲歌がある。同期の同窓会でも六稜校歌が合唱されるのは当然のことであるが、この悲歌はほとんど歌ってもらえない。私はこの悲歌を誰に教えられたというはっきりした記憶もなく、憶えていて、ときどき風呂の中などで口ずさんでいるのである。
私が心の底に記憶しているままのこの悲歌の歌詞は以上の如くであるが,節も旧制高校の寮歌調で歌い易い。歌の文句の如く、北野中は市岡中学がどうも苦手であって、年1回の夏の北野、市岡の定期戦には敗けることが多かった。この定期戦には北野は白旗、市岡は赤旗で、ほとんど全校生が手作りの旗を振りながら応援に出かける程の盛観さであった。この頃(大正10年前後)大阪府下の中学で野球部のあったのは前記の三校の他に明星商業(現明星高校)と桃山中学(現桃山学院高校)ぐらいであったと記憶している。