一 澱江春の花の色 錦城秋の月の宴
歴史はふりて世は荒れて ただ幻の映え匂う二 民百萬の夢破る バット(キック)の響き勇ましや
君大いなる眉あげて 見ませ都の北の方三 六稜の大旗ひらめきて 一條の生氣立つところ
北野の健兒意氣高く つくりたてたる野球團(我がラガー)四 昆陽の大野の朝風に 白衣の袖の振るうとき
六甲山の夕雲に バットの響き(トライの叫び)冴ゆるとき五 若き男の子の血は燃えて 圖南の翼今成れり
我れ今得たり三州の 球を争う覇者の名を(光まばゆき我がラガー)フレー北野フレー北野 フレーフレーフレー
フレー北野フレー北野 フレーフレーフレー
演奏 楽譜(J) 楽譜(E)
※この歌は、以下のように異なる歌詞がある。 本稿 異稿 一 ただ幻の映え匂う ただ幻の榮によう 四 バットの響き勇ましや ヒットの叫び勇ましや 五 球を争う覇者の名を 光まばゆき野球団
※澱江:淀川;錦城:大阪城;
図南(となん)の翼:大事業をしようとする志、計画。『荘子』逍遥遊より、想像上の巨鳥「鵬」が遥か南に向かって飛びたとうとする意から南に発展すること、大事業を計画することを図南という。(『大辞泉』小学館)
「北野のうた」より
野口藤三郎(53期)作詞者は不詳(多分当時の生徒の一人)だが、曲は明治34年に栗林宇一が『アムール川の流血や』の曲(旧制一高寮歌)として発表した名曲中の名曲である。
また、歌詞が何時ごろ出来たものかも不明であるが、初代楽友会会長の故・白井次郎先輩(39期)や森繁久彌氏(45期)なども愛唱しておられるから、多分大正末期には出来ていたのだろう。
昭和9年に北野の生徒となった私も、その年の12月、花園ラグビー場で天王寺に惜敗し、場外の広場で紅蓮の炎に包まれて燃えてゆく応援団旗を眺めつつ、この歌を歌って全員が泣いた思い出は心に焼きついて離れない。まさに、花園原頭夕陽涙(澤田麗壮君(52期)作の漢詩)である。
また、この曲は四分音符=114の勇壮華麗なマーチテムポだが、ゆっくりとアンダンテで歌うのもなかなかの味がある。けだし日本の代表的名曲であるといえるだろう。
※記念CDのこの応援歌の第一番第4節の歌詞を「ただまぼろしの エイに負う」と歌われているのは甚だ戴けない。まことに情けなく残念に思う。
なお、ここに収めたMIDIファイルのテンポは四分音符=100。