六稜会報Online No.31(1997.9.15)
●新校長ごあいさつ
生きて働く伝統
名誉会長・学校長
秋田典昭
【あきた・のりあき】昭和16年広島県に生まれる。35年私立修道高校卒業。40年京都大学文学部哲学科卒業。42年県立静岡東高、46年府立三島高、49年大阪教育大附属高、56年府立春日丘高、58年府立柴島高の教論を歴任。61年より大阪府科学教育センター、平成6年より大阪府教育センターに勤務。8年同センター次長心得兼教科教育部長を経て本年4月本校校長として着任。専門教科は国語。
1.流汗悟道
昨年十月に社会福祉法人北海道家庭学校を訪れる機会を得た。ご承知の方も多いと思うが北海道家庭学校は、留岡幸助が大正3年、北海道紋別郡遠軽町にその基礎を築いた学校である。学校という名を冠しているが、社会福祉法人であるところからも伺えるように、親からも社会からも見捨てられた非行少年たちが学び生活する場である。私がこの学校にかねてから深い関心を寄せたのは、家庭や社会がその教育を放棄した少年たちに対して、この学校が大きな教育カを発揮している点にあった。私自身も多少なりとも荒れた少年たちの教育に携わった経験があり、その時に自分の無力さをいやというほど思い知らされている。それは、まさに敗北の毎日であった。そういう自分の体験に照らしてみても、北海道家庭学校がその教育効果をあげているということは、私の想像を絶することであった。もちろん、谷昌恒校長をはじめとする優れた先生がおられるから、そのような教育が可能となったのはいうまでもないが、私のような凡人にも何か参考になるようなことがあるのではないか。そのためには、学校の実際をこの目でみたいという願いが以前からあった。北海道の秋は、大阪より一足早く、見事なまでの全山紅葉の連なりは遠軽までの行程を和ませてくれた。校門から本館に至る長いアプローチの途中にある寮の前では、黙々と農作業をしている少年がやさしい目をして、暖かく声をかけてくれた。その後、谷昌恒校長の案内で436ヘクタールに及ぶ校地の一部と教室などの施設をみせていただいた。その説明の中で最も印象に残ったのは、「流汗悟道」という言葉であった。少年たちは、ここで敢然と厳しい自然に挑戦し、共に汗を流し、学ぶ。そのことによって、くじけない強い精神力が自ずと育ち、それが社会を生きて行く大きな力となっているとのことであった。
2.厳しさと教育
私たちの生きたかつての時代は、汗を流すということはあまりにも当たり前で、汗を流さない生活に憧れたものであった。当然、汗を流すことや困難さ、厳しさに立ち向かうことの教育的効用については考えもしなかったし、親たちも子どもたちにそうした苦しい生活や厳しい労働を味わわせないことを考えて懸命に働いた。その結果として、日本は本当に豊かになった。そして、そういう豊かな時代を反映して、野生とか、荒々しさは敬遠される時代になった。タバコをはじめ、食べ物はマイルドな味がもてはやされ、自動車のボディの形はかつての角張ったスタイルから、丸くゆるやかにカーブしたものとなった。そして、男性にもやさしさが求められる時代となった。もちろん、こうした豊かな時代は実に血のにじむような努力の末に獲得されたものであった。だが、そうした豊かさは子どもたちの教育においては何をもたらしたのか。豊かさは、環境の中における厳しさを可能なかぎり排除しようとするものである。大きく成長しようとする時代に、厳しさが排除されればどういう結果になるか。学ぶことのできる時間が保障され、学ぶための多くの手段と機会が提供されたとしても、そこで学ばれたものはどういう意味を持つのか。厳しさを抜きにした教育は、自ら困難を切り開き、他人の痛みを痛みと感じ、自分の責任において実りある人生を創造できるのだろうか。豊かさ故に忘れられようとしている厳しさ、そこに現代教育の危機を見るのは私一人ではないであろう。北海道家庭学校における「流汗悟道」の精神が、子どもを大きく変える力を発揮しているのは、その根底に厳しさへのチャレンジがあるからである。
3.伝統の意味
私は北野に着任して、生徒の日々の活動を見ていて、生徒に深く敬意を抱いている点がある。それは生徒の自己を律する厳しさである。それは、授業において、行事において、部活動において、学校活動の随所に見られる。その若者らしい懸命さに私は心をうたれる。それは強制されたものではなく、自ら求め、自ら課した厳しさである。そうした自らに課した、他を圧倒する厳しさを通して、これまでも北野生は精神的にも肉体的にも大きく成長し、各界をリードする有為の人材となったのである。この自己に対する仮借のない厳しさこそ、まさに北野の伝統であり、校風である。ある人に、「教えは耳から入るだけではない、毛穴からも入る」と教えられたことがある。その学校に、その教室に、そのグランドに身を置くだけで、自ずと自らを厳しく律してしまう、自らに厳しい課題を課してしまう。長い時間の中の先輩の生きざまが、建物に、教室に、グランドに染み込み、それが現在の生徒に目に見えない形で大きく影響する。これが伝統の重みであろう。そういう伝統に鼓舞され、自らを大きく成長させている生徒とともに、さらに新たな伝統を教職員心を一つにして作っていきたいものである。
原典●『六稜會報』No.31 p.4