●八幡直美先生(養護助教諭H6〜)
ご退職され、高槻市立柴谷中学にお勤めになりました。
●御堂岡啓先生・薬師寺春男先生・柏尾洋介先生
本校御退職後も特別講師や期限付き講師としてお勤め下さいましたが、今春その任を終えられました。
●城 治明事務長(H6〜)
桜塚高校事務部長としてご栄転になりました。
【平成8年度】
●高校総体 山岳部 男子団体
(前原・甲斐島・藤原・住友) 70,000円
●近畿大会 陸上部個人 男子5,000m
斉藤大輔(3年) 10,000円
●近畿大会 卓球女子学校対抗戦
(中島・松本・山下・向井) 30,000円
※以上の通り、同窓会より激励金をいただきました。ありがとうございました。
なお、山岳部男子は3年連続、高校総体出場を果たしました。
木戸 湊氏(70期)
毎日新聞社東京本社編集局長
選考に当たっては、候補の多さとそのレベルの高さにおいて選考委員をかなり苦しめた。当初の校内選考委員会および校外委員を交えた本選考委員会では決着を見ず、再度の委員会を開くという異例の慎重審議の結果、4候補すべての同時受賞となった。以下、受賞者の受賞理由および選考経過を記す。(なお、学年は選考時点のもの)
●オーケストラ部
大阪府代表として平成7年度第16回近畿高等学校総合文化祭に出演。
シュトラウス作曲 喜歌劇『こうもり』序曲を好演。
●岡田早代子(2年109期)
毎日新聞社主催第49回全日本学生音楽コンクール大阪大会本選声楽部門高校の部で第1位となり、全国大会に出場。
課題曲 チェスティ作曲『私の偶像である人の周りに』
自由曲 マスカーニ作曲『カヴァレリア・ルスチカーナ』からアリア『ママも知るとおり』
全国大会出場者4名のうち、優勝は逃したものの(優勝者のみ公表)、『深々とした声質と情感に溢れた表現力豊かな歌唱』によって、次席に相当するものと思われる評価を得た。
●船越直子(3年108期)
第33回全国高等学校生徒英作文コンテスト(主催 全英連/後援 文部省・旺文社)
2・3年の部 課題(COMICS AND I)
最優秀賞・文部大臣奨励賞 (全国1名)受賞
●磯村由美子(3年108期)
第34回全国高等学校生徒英作文コンテスト
2・3年の部 課題(THE PERSON I RESPECT)
最優秀賞・文部大臣奨励賞 (全国1名)受賞
1994年度、2・3年生の部「漫画と私」に2年生当時応募して最優秀賞に輝いた船越直子さんは、スヌーピーでよく知られたアメリカの漫画『ピーナッツ』との出会いによって英語に興味を持ち、英語で読む楽しさを自然に身につけていった様子をいきいきと表現した。1995年度3年生で「私の尊敬する人」に応募した磯村由美子さんは成長の過程で、『アンネの日記』を子供向け物語から近年発刊された完全版までの異なる版で読み、その都度、アンネの実像をとらえ直しながら、自分自身の成長と重ねてアンネの生き方から影響を受けてきたことをしっかりした英文構成で述べている。 指導に当たってこられた中田先生のお話を次に挙げる。
「国際化社会に向けて自分の言いたいことをきちんと起承転結をつけて話せるようにするというのが、これに取り組む一番の目的です。これまでこのコンテストで上位を占めるのは、中高一貫で英語に特に時間をかけられるような私学が常連だった。それをしのいで、北野が上位を続けて取ったというのは、うちの生徒にはユニークな切り込み方がある、発想・内容で読む人の心をとらえるものがあるということだと思っています。これが北野の強みでしょう。休み中に添削に応えて英語を練るのは教師も生徒も大変な面があるが、外国語でいいたいことを表現できたというのはいい体験になるので、やりがいのあることだと思っています。」
6月9日文化祭当日、文化活動振興賞委員会が開かれ、平成8年度の助成金は、昨年に引き続き、ここ数年間まもなく取り壊される校舎の写真撮影に取り組んでいる写真部に与えられることに決定した。また、この席上、平成7年度助成金による活動報告が写真部顧問の矢作教諭からなされ、部員たちがとり続けている校舎の写真のアルバムが披露された。写真の一部を紹介する。
北野の文化祭の中心は、各クラスの出し物と、文化部の発表である。したがって文実はその下準備と調整に奔走することとなる。言わば“裏方”である文実だが、その文実が中心になって行なっているのが、今年で3年目の「チャリティーバザー」である。今年はこれに加えて、文化祭終了後の「後夜祭」の開催を文実の活動の中心に据えた。
本校の卒業生に、バングラデシュでハンセン病と闘ってこられた、医師の畑野研太郎さんという方がおられる。この方が来校され、バングラデシュの現状について話されたのが5年前。その3年後の平成6年から、少しでもハンセン病と闘う力になろうと、チャリティーバザーが行われている。今年は3年の有志クラスにも参加を募った結果、規模も大きくなり、又、今年で見納めとなる校舎の写真や、先生の持ち物をオークションにかけさせてもらったりと思いもよらなかった企画も出、また文実ハンセン病に関する掲示にも思いのほか多くの人が集まり、意義あるものとなりました。
文実の用意したもう一つの目玉イベントが、「後夜祭」である。まず、畑野さんの話を聞かせて頂いた。その後、クイズ大会、そして生徒のバンド演奏という次第であるが、僕達が予想した以上に多くの生徒が講堂へと詰めかけ、大いに盛り上がった。最後の「風になりたい」の合唱では、会場の全員が一つにまとまったような、そんな一体感が感じられた。大成功だった。そして楽しかった。
それにしても、文実として文化祭に関わって思ったことがある。それは、クラスであれ、クラブ、あるいはバンド等であれ、参加している生徒が皆、一生懸命であるということである。一つの事に打ち込むのは楽しい。クラスにはー体感が、そして個々の心の中には充実感が得られる。不満が残ったなら、自分の胸に問いかけてみよう、自分は本当に全力で頑張ったのカナ? 僕は、誰もが全力を尽くし、そして必死で参加すればそれに見合った“何か”が得られる、そういうのが、北野の良さであり、伝統なんだと、ふとそう思った。
以来、毎年春には北野の教諭・生徒がケントウッド校を訪ね、夏にはケントウッド校の教諭・生徒が北野高校を訪れる形で交流を続けている。また、創立120周年記念事業の一環として「国際交流基金」を創設、昨年2月に1,000万円の基金が設けられたほか、同校同窓会「六稜会」からの援助など、学校の組織をあげて国際交流に取り組んでいる。
今回留学してきたニック君とケーシャさんは、北野の生徒の家庭にホームステイし、ホストファミリーのクラスで授業を受けたり、家庭科の実習で日本の家庭料理づくりに挑戦したり、京都・神戸を散策したり。これまで互いに一生懸命勉強してきた英語と日本語が活かせる機会とあって、どの場面でも大いに会話が弾んだ。
山崎校長は「国際化への対応ということがいわれていますが、北野では勉強はもちろん、80%近くの生徒が部活動に取り組むなど、いろいろなことを体験することを大切にしています。その中に国際化への対応ということも位置づけ、こうして実際に外国の高校生と親しく交流することで英語の学習・異文化理解が着実に深まっています。今後は、規模や内容をさらに検討し、芸術作品の交流や文通なども含め一層交流を深めていきたい」と語っていた。(「教育タイムス」1996年7月24日より)