大阪大学文学部教授
加地伸行(67期)
現在、話題になっているものに夫婦別姓問題があります。おそらくまもなく別姓を認める形に改正されるでしょう。問題は、現在行なわれている議論に間違いがあることです。夫婦同姓というのは家制度から来ている、この家制度は新民法によって否定された、従ってその家の姓を称すると言うのは否定されなければならならない、と言うのです。これは根底的に間違っています。本来、我が国も朝鮮半島も中国大陸も夫婦別姓です。儒教では夫婦は別姓です。江戸時代もそうなんですよ。明治になって庶民が姓を持つようになり、内務省は夫婦は別姓たるべしと何度も通達を出しています。
では、どうして夫婦同姓になったのか。旧民法ではその家の氏、即ち戸主の姓を名乗ることに定められましたが、これはキリスト教のファミリーネームから来ています。日本は、幕末にアメリカと日米修好通商条約を結び、その後列強と次々に条約を結びましたが、これは不平等条約でした。これの撤廃を要求した時、欧米はその条件として、日本に欧米なみの刑法や民法の制定を求めました。そこで、フランスの民法を手本にしたのが明治の民法です。フランスの民法の背後にあるのはカトリック的な考え方です。その一つに姓、ファミリーネームがあるわけで、夫婦は家の氏を称すべしとなったのです。これは夫婦別姓という儒教の伝統の否定です。昭和23年の民法の改正では、夫または妻の姓とするにとどまりました。 私は日本でのこの問題の議論をずっと読んでいますが、夫婦同姓が不平等条約撤廃に始まるなんてこと、誰も言っていませんね。ここにおられる方には、夫婦別姓問題の背後には儒教とは別の問題があることをご理解いただきたい。
私たちのまわりには儒教的な問題がいくらでもあります。インドから仏教が伝わる際、南の方では仏教に対抗できる文化が無かったからそのまま浸透した。東南アジアでは今でも出家主義で、坊さんだけが救われるんです。中国へ入ってくると儒教文化があった。儒教は在家主義、家を棄ててはならない。仏教は布教のために妥協をして、儒教的考えを取り入れた。それが日本にはいってきたのです。在家主義とは何か、儒教の本質とは何か、それは祖先を祀るということです。
仏教は輪廻転生ですから、死んだらどっかに生まれ変わる。家の人が亡くなった人をおがんだって帰っては来ない。ところが儒教はちがう。ここの天井のようなドームが天で、これと大地、その間にあるものしか信用しない。死んだ魂がどこへ行くかといっても、どこへも行かない。ふわふわと魂はあの世にいかずにこの世にいる。だから呼べば帰ってくるのです。これは理屈ではなく感覚なのです。仏壇の一番上段にご本尊がいらっしゃる。このご本尊に花をささげて、輪廻転生の苦しみから救ってくださいと御願いをする。次にお灯明を点けて、帰ってくる魂が道を迷わないようにする。ご先祖は線香の煙に乗って降りてくる。そこで我々は「ご先祖様、おはようございます」というわけです。皆さん、御仏壇の前で、輪廻転生の苦しみから救ってくださいと御願いしたことがありますか。だいたい、ご先祖様お早ようございますをしているのが我々なんです。仏壇は、仏教の形をとっていますが、実は儒教なんです。仏壇の前に家族が集まることが家族を結びつける大きな力になっている。仏壇というのは日本人が作った最高傑作です。
キリスト教は一神教だから超越した絶対神をおきました。神に対する気持ちは「おそれ」です。おそれをもった人間は自分に対して厳しくなる。自己規律がある。だから自立し、自己責任が生じる。だからその行動は自由なんです。それが個人主義といわれるものなんですね。個人主義が生まれる背景にはキリスト教の文化があったわけです。キリスト教無き個人主義、これはエゴイズムです。おそれがないんですから。なにしようと自由、勝手放題になりますね。明治の初め、大阪に藤沢南岳という漢学者がいました。この人は弟子に自由とは何かと尋ねた。弟子は正確な意味を答えた。南岳先生は、それは誤訳である、「道理」と訳せとおっしゃった。リバティをですよ。これはすごいことです。英語を全く知らないからこそ、本質が見抜けたのですね。自由の代わりに道理を使っていたら随分変わっていたでしょうね。
東北アジアでは人間のエゴイズムを抑えるものは家族なんです。これが家族主義というべきものです。今の日本は近代国家を作るために個人主義を導入して非常に混乱している状態です。東北アジアの儒教文化圏の家族主義は、祖先をまつることから始まって、その祖先をまつるのは子孫、だから子孫一族が増えていくようにと考える。私の言葉で言いますと生命の連続ということなんです。欧米人の家族観は個人主義ですから、結婚する時も男と女が契約して家族を作るんです。だから契約違反が起こると離婚です。東北アジアでは家族は生命の連続の場と考えていますから、家族というものはつぶしてはならないものと考えている。ここが大きな違いです。
欧米では信仰を失う人が増加して、信仰を失った個人主義の悲劇が目の当たりに見えてきた。21世紀には個人主義対家族主義が激突するでしょう。今の日本で元の家族主義に戻せるか、これはむずかしい。どちらかを選択することで折合いをつけていくしかないと思う。その一番の問題は老人介護です。伝統的な家族主義の持っている良さを活かしていく方法はまだまだあるでしょう。21世紀を迎えて日本が何を選んでいくか。我々は幸い長い伝統的な儒教的な感覚を持っているから、それを足掛かりにして、何とかいけるのではないかと思っています。