昭和9年、応援団長であった柔道部の尾崎克幸氏(48期)と副団長の岩尾一氏(48期)が相談し、応援歌第一(「澱江春の」)の曲は軍歌で歌われ、当時どこの小学校の運動会でもこの曲が流されていたので、ひとつ陳腐でないものをつくろうではないかということになった。
曲は、岩尾氏が幼少の頃から父君が常に口ずさんでいて、自身もよく歌っていた山口高校の歌で「ラインの水」という曲を借りることにし、歌詞は岩尾氏が作詞した。
10月に十三駅前の印刷屋で作り、学校に持参した。5年生が待機して全校生徒を集め、朝礼で口移しで覚えさせた。教頭の友田先生も一緒に覚えてくださったという。こうした努力の甲斐あって、昭和9年11月23日の天王寺中学とのラグビー定期戦では、20対10のスコアで勝つことができた。ただ、翌々日の25日に天理中学に14対13の僅差で負けて全国大会に進めなかったのが残念であった。(以上、1994.10.2の六稜ラガークラブ東京支部総会での岩尾一氏の談に依り60期大岩重雄記す。)
●天王寺中学校との定期戦(昭和9年11月23日)
20対10で勝。応援席に「北中」の人文字が見える。
応援歌第二「澱江の水」
一、澱江の水涸るるとも 燃ゆるは吾等が血潮なる
ああ六稜の星の下 意気に逸れる若人の
をたけび高き勝ちどきに 今日初陣の陣太鼓
二、白雲ゆきて松風に 忍従のとき幾春秋
栄枯盛衰移りゆき いま荒鷲の翼もて
六甲山下錦城に 覇業を目指す吾が選手
三、困苦研鑽幾星霜 鍛えし健児ここにあり
敵陣いかに固くとも 吾が精鋭のいくところ
六稜の大旗ひらめきて 吾が戦勝をしめすなり
四、さらば進めよ吾が友よ 征けよ征け征け吾が選手
吾等二千の血潮もて 吾が六稜の意気により
戦ひ屠れ敵軍を 進め六稜の健男児
ふれ北野 ふれ北野 ふれー おー おー