六稜会報Online No.28(1994.9.20)


    みんなに愛される建築
    だけが残っていく

    竹山 聖(85期)

      「設計が決まったという感じは、バスケットのシュートをねらって決まったっていう感覚に近いですね。建築家は運動神経がないとだめだと思います」

       竹山聖さんの話は、意外なことばから始まった。建築家とスポーツ…、いったいどう結び付くのだろう。

      「空間をとらえることができるかどうかということです(僕は頭脳の運動紳経と呼んでるんですが、これがないと部屋を作るとか都市の中に位置するということについては考えられません。建築家は、物の形が空気を切り裂いた、空気の震えのようなものを感じられないと、いいデザインはできないんです」

       スポーツはもちろん、音楽やファッションにも幅広い知識と関心をもっている竹山さん。世の中のライフスタイルの変化には常にアンテナを張り巡らせている。

      「建築家は、本来アイデアを売る人なんですよ。雨漏りを防ぐにはどうすればいいかみたいな技術的な問題を研究するのはエンジニアの仕事。新しい空間とか、新しい生活についての考え方を生み出すのが建築家なんです」

       そういった建築家やビルなど建物への認識は日本でも少しずつ出始め、特にバブル以後、変わってきた。

      「バブルの時代、東京の25%が変わったわけですよね。それによって建築や都市に対する人々の関心が高まったんだと思います」

       建築業界の関係者ではない普通の人たちがお茶や酒の席で建築を話題にするようになった、それはたいへん画期的なことと言う。

      「バブルまでは経済が街を造っていた。それがバブルが崩壊して、街は景観を考えて造るんだというふうに都市生活者の考え方が変わってきた。都市というのは、そこに土地を持っている人たちのためじゃなくって、そこで生活する人、自分たちのためのものだということに気がつき始めたんだと思います」

       ビルを造ってもなかなかテナントが入らない今の時代。これからの都市はどうなっていくのだろう。

      「人々に愛されない建築は、もう残らないですね。フランス革命でバスチーユの牢獄は壊されたけど、ルーブル宮殿は残った。それはパリの市民がルーブル宮殿を愛していたからなんです。これはパリの景観になくてはならないものだと考えて、美術館として残したんです。日本でもそういった考え方が少しずつ浸透していくんではないでしょうか」

       大学の先生でもある竹山さん。その語り口は学者っぽくなくソフトだ。それは街で生活し、スポーツを楽しみ、音楽を愛する生活者としてのことばだからだろう。

      (国民生活センター発行『たしかな目』1994.9月号より転載)


    原典●『六稜會報』No.28 p.13