久野友博氏は、翁なきあとも、笹部桜の増殖・研究を続けられ、母校にも同桜を寄贈された。
六稜会報(No.20、1987.10.1)の笹部新太郎翁を偲ぶ座談会で久野氏は次の様に述べておられる。
「笹部さんの桜研究のもっとも大きな目標は、品位に欠けるソメイヨシノの氾濫に抗して、山桜を基本としたソメイヨシノに優る新品種を創り出すことでした。…(中略)…笹部さんはこの桜を生み出したんですが、本当はこの桜を母体として色々の名桜を生み出し、東京生れの下品なソメイヨシノの全国制覇に対して関西生れのこの桜で巻き返しをはかりたかったんじゃないでしょうか。私もこれらの桜の全国普及を志してはおるんですが、六稜の同窓の中から笹部さんの遺志を継いで下さる方々の出現を願望して、締めくくりの言葉とさせて頂きます」