新原知廣(72期)
【にいはら・ともひろ】曽根崎小学校、菅南中学校、北野を経て、早稲田大学法学部卒、3年間の化学工場労働者、2年間のポンプ営業部員を経験して、家業の繊維卸売業を経営、現在に至る。53才。長男は98期生。
私は昭和35年に、安保闘争が激化しつつある世相の中、母校を卒業いたしました。在学中は柔道部に属しながら、勤評闘争時の自治会で少々活動しました。勤務評定というのは、校長先生が教員の成績表を作って、府教育委員会に報告するということでありました。その様な先生の成績表が何のために必要なのかわかりませんが、当時の日教組は、民主教育の危機であるとして、非常事態を宣言し、全国の学校現場に闘争を指令しました。我らが母校も組合に属する多くの先生方と、校長の勤務評定を提出する仕事を支えようとする少数の先生方との対立は、深まって行くばかり。府立高校の代表である北野では、府教委も高教組も拠点校に指定し合い譲らず昭和34年2月闘争はピークに至り、自治会と多くの生徒の支援もむなしく、勤評は府へ届けられました。
以来35年を経て、少なくとも人事権は完全に府教委に握られている中で、母校北野が今もリベラルな校風を守り、締め付けられるをよしとしない気骨ある先生方によって守られているのか、僭越ながら気になるところです。そんな思いをいたしながら、事務局の仕事に励んでおります。
前事務局長は48期の平 浩行氏が11年間務めてこられました。3度の名簿発行、2度の記念事業に関わられ、年会費の徴収、管理にも尽力されました。紙面をかりてねぎらい申し上げますとともに、いつまでもお元気で、また事務局をよろしくご指導くださいますようお願い致します。