アルバム委員には写真の得意な人達が選ばれた。まだ、カメラが高価で貴重な時代であった。写真マニアたちの個人の活動から部への脱皮がはかられたのが、昭和33年から34年にかけての大橋公平、池永博省(72期)氏らの時代で、物理教室の隣の暗室を使って現像がひっきりなしとなった。
文化祭での発表も活発になったし、池永氏などは後輩の指導に卒業後も来校する。久保田光氏(76期)も後輩の面倒をみるため「かかしくらぶ」をつくったほど。しかし、カメラマニアにはあまりタテのつながりはない。六稜写真展などの話も持ち上るが実現していない。
その後も、写真部は文化祭を足場に地道に発表を続けているが、対外的にも昭和55年、佐野剛氏(93期)が第1回オリンパスフォトコンテスト学生部門に入賞するなどの実績もある。