あの熱い社研はない
徳永氏によれば、24年に早くも、1年生部員のひとりが、反戦同盟を結成し、派手に署名運動などを展開したため、放校処分を受けた。社研などが中心となって全校集会を開き、抗議に立ち上がった。結局、自主退学でけりをつけたため、北野を揺るがす運動には、ならなかった、という。
刺激的な評価が魅力
そんな状況だったせいか、校内での社研に対する評価は「先輩に吹田事件の被告がいるそうや」「去年の運動会のクラブ行進で、社研だけが逆回りした」などと、刺激的だったようだ。
その刺激に誘われて30年に入部したという黒田悠紀子さん(69期)は「部室は2階北側の廊下の突き当たり、身動きするのにやっとの“広さ”で、たえず部屋に人がいた。机の上の灰皿と吸いがらには驚かされた」と当時を振り返える。
部活動の中心は、読書会で『史的唯物論』や『ものの見方、考え方』などが教材だったという。文化祭には機関誌『指針』の発行に全力を挙げた。他校の社研との交流も活発化、原水禁大会などの集会へも自主的に参加した。
黒田さんは、当時の林武雄校長の「マンネリ化した文化祭をやめてはどうか」の発言に抗議し、校長室へ押しかけた思い出は、何かにつけて燃えた青春の証しだったという。
が、いま、あの熱い「社研」はない。