六稜会報Online No.26(1993.7.20)


    【特集】六稜クラブ活動小史
    園芸部

    昭和30年に再生


       昭和6年、新校舎へ移って早々、博物(今の生物)の大須賀胤先生が屋上を利用して園芸部を始め、当時の新聞にも紹介されたという。その後もテニスコートに場所を移して活動は続いたが、戦争とともにいつのまにか消滅した。

       世の中もようやく落ち着きを見せ始めた昭和30年、当時の2年生小寺範生氏(69期)ら、顧問に国友正先生を迎え、同好の士が集まり園芸部を発足させた。幸い多数の熱心な参加者と、生徒会、教・職員の支援に恵まれ、新参のクラブとしてはきわめて順調なスタートを切った。
       実績作りと夏休みの芝生の手入れを始めた。昼間を図書館で過ごし、夕方から水やりを始める毎日だった。校舎の周辺は草むらになっていたが、そこから花壇の残骸を掘り起こして翌春にはチューリップなどを咲かせるところまでこぎつけたという。
       31年春植えの花は、目立つようにと食堂への通路のわきに新しく花壇を作ってカンナやマツバボタンなどを植えたが、夏休みの間に盛りがすぎてしまい、宣伝効果はいま一つだったようだ。文化祭にもこの年から参加、時期が花の少ない6月だったので、花を集めるのが一苦労だつた。結局は春の花の残りで間に合わせたようだった。

       小寺氏は「校内の様子も一変してしまいましたが、今でもクラブ活動が続けられている。当時と今とでは花や緑についての状況はまるで変わっていますが、自分の手で緑を育てる喜びは、今も同じなのでしょう」と話している。


    原典●『六稜會報』No.26 p.15